夏の贈り物

多くの方々から メールを頂きます。

「 多くのなかのひとり 」ではなく

「 たったひとりの、その方 」ですから

返信には つい時間が かかります。

動きがのろいですから、一日に書ける返信数は

どうしても少なくなり もしかすると

やきもきさせてしまっているだろうと思います。

お詫び申し上げます。

今朝、頂いたメールに

爽やかな写真を贈ってくださいました。

自然の中で生きているものすべて、

美しいですね。

誰からも守られていなくとも、

生きている姿を 凛々しく思います。

何もなくても、与えられた生を生きる。

何者でもなくとも、生きる。

空を見上げるたびに、

山や海を見るたびに、

人から「雑草」と呼ばれているそこいらの草花を見るたびに、

真摯な気持ちが沸いてきます。

夏は 特に「命」と「欲」を感じさせます。

原爆、

終戦、

戦争にまつわること。

人の欲によって

多くの方々の 尊い命を 奪われたことは

歴史から 消えることは ありません。

本来、「科学・化学・技術」といったものは

命に貢献するものです。

それが 逆に使われてしまうことほど

残酷なことは ない。

” 原爆を落とされた年月日を覚えていて何になる?”

そういうふうに 思われる方々もいるでしょう。

さまざまな考え方が あると思います。

どう思われようと

尊い命が 犠牲になったことは「事実」。

後遺症を長く患われている方々も おられ、

心に傷を負った方々も おられる。

助けること、

救うことは 出来なくとも

せめて、

心静かに 頭を垂れ

平安を祈るとともに

そのようなことが 起こらないよう

時代を 見つめてゆこうと 思うのです。

権力などの「ラベル」がつきますと

人は 大抵、ラベルにコントロールされます。

情けないことです。

弱い証拠です。

そうした「ラベル」が 剥がれた時、

人は ようやく 自由になります。

” 自分は 何者でもない。”

私の胸に いつもあるものです。

ラベルは この世では 化けの皮と成るかも

しれない。

自分を 大きく見せられる道具かも

しれない。

この世に生きているのだから、

この世的視点で 生きるだけだ!

そう思う人も おられるでしょう。

この世を謳歌することと、

この世的視点のみで 生きることとは

少し 違うように 思います。

物質社会、

物質世界。

ならば、

「 心 」は 不要なわけです。

喜び、

怒り、

哀しみ、

楽しみ_

こうした感情は 不要となります。

完全に「 物質 」だけでは

人は

生きれないし、

生きてゆけないように 思います。

生きにくい世の中かも しれません。

けれど、

どう生きるのかは、

どういう心を持ちたいのかは、

すべて

自分に かかっているのです。

自分次第。

他から 習う必要など ありません。

自由といいましても、

制限された自由です。

100%の自由というのは

ないと思います。

それを はき違えないように

慎ましく 生きて行きたいと思います。


頂いた写真です。とても凛々しく爽やかです。

暑い日々、どうぞ、お健やかに。

アガサ

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