私達が困っている時
私達が困っている時、
泣いている時、
途方に暮れている時、
他界した家族の人達は、もっと心を痛めていると思います。
ご自分の歯痒さを感じていると思います。
助けてあげたいのに、物質的な助けが出来ない自分。
辛く思っておられると思います。
いつか 私が他界した後に、家族が苦しんでいたら・・・
家族のそうした姿と心を知ると 私は自分の無力さを嘆き、
歯がゆく思うことは間違いない。
そして、
祈るしか出来ないけれど、愛する家族をあんじるでしょう。
私達にとって、
困ること、辛いこと、というのは
運命的で、決められたこと、試練という言葉にあてはめて
” あぁ、なんて私は不幸なんだろう!” にどっぷり浸かっている場合では
ありません。
当人である自分が 自分のそうした感情を感じながらも
この世的な対処を探し、地道に努力していくことなのだと思います。
どんなにもがき、出口が見えないトンネルのように思えても、です。
心を腐らせないように 踏ん張ること。
その心と踏ん張りは 必ず いつか 自分のためになります。
自分のためにならなくたって、きっと 誰かのためになるのです。
それが ” 人として生きる ” ということだと思います。
手をこまねいて、何もせずに、
「 どうか助けてください 」
と祈り願ったところで 何も変わらない。
やっぱり、何か 地道な積み重ねをせねばなりません。
すぐに 効果がなくとも、です。
祈るだけで全てがハッピーになる人生などは、
到底、人生とは呼べない。
感謝も へったくれもない、見た目が人の形をしているだけの
生き物のようになってしまいます。
私たちの最大の敵は、
自分のなかに ふとわいてくる ” 私は孤独だ “
という自分よがりな感情です。
そう思ってしまう時、感謝の気持ちが薄れているのだと
思うのです。
私達が困っている時、
決して 孤独 なんかではない。
愛する家族達やご先祖さん方が 私達を見放すのではなく、
私達が 自分よがりな感情で
愛する家族やご先祖、
周囲の方々、
会うこともない多くの方々の努力を遠ざけてしまっている_
私達が 愛しい存在を見放しているのだと思うのです。
” ダメ元で 踏ん張るから!”
あなたが、そう心で思えるように祈っています。
アガサ
こんばんは。
今の自分の状況に、ずっしりきました。
心において、今の状況を乗り越えたいと思います。
ありがとうございます。
孤独だなどと思わずに、何とか踏ん張ります。
コメントをありがとうございます。
孤独だと思えることは、日常生活で多々あるように経験してきました。
家族がいても、孤独はあります。
周囲に居る人数じゃ、ないのだと思います。
孤独だと私が感じる時_ それは、私自身が"自分の思うようにいかない時"に感じていたのではないかと、思うのです。
他ではなく、己の心の在りようなのかと50過ぎてからようやくわかるようになってきました。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。
頑張って、書き込みをしてくださり、ありがとうございます。
孤独に思う時ほど、心が氷のようにカチンカチンになっているのだなと、私自身の今までを振り返りまして、そう思えます。
" こんだけ頑張ってるのに・・・"という自分が自分を苦しめていたり。何かと自分を比べていたり。
しあわせそうに見えていても、人というのは、本当に幸せかどうかはわかりません。
全てを満たされているようにみえても、その実、内面までもが満たされているかどうかもわかりません。
だけど、孤独な時ほど、他人様がしあわせそうに見えてしまうから、不思議です。
若い時、孤独で押しつぶされそうでした。
夜、帰宅する時に電車から見える家々の灯りをうらやましく思ったりしました。
感傷的だったのでしょうね、私も。
人は孤独を経験することは、とても大事です。
Asukaさんはとても大事なことを経験なさっているのだと思います。