合う場所
先月に、大切なお子さんを亡くされた親御さんから
悲痛な思いが綴られたコメントを頂きました。
– – – – –
わが子を自死で亡くしました。
自分が入院中で自分のことで精一杯で最後に逢うことも声をかけることも出来ず、
子の気持ちを思うと今すぐにでも後を追いたい気持でいっぱいです。
駄目な母親のところに生まれて申し訳なかったと思います。
藁をもすがる気持でメールさせていただきました。
(略)
子の気持ちを聞かせていただきたいです。
死なせてしまったのは私なので一緒に逝くべきなのだとおもいます。
少しの時間でもどちらにでも伺いますので、どうかよろしくお願いいたします。
– – – – –
一ヶ月半、親御さん、近いお身内、ご友人、先生方・・・
どのような思いで生きて来られたのか・・・
私がまず思うことは、このことです。
わが子の他界は、親にとって、生きることが地獄に思えます。
尽きることのない 思いです。
ご心情をわかったうえで、お引き受けする意のメールには、
「 当日、どなたがお越しになるのかはわかりませんが
自分は正直で在ることに努めます。」
とお返事しました。
さて。
前日のご依頼が終わった後から、次の方が来られているのは
わかっていました。
Mさんのお身内の方のどなたか、です。
楽しいこの方は、私にいつもより大きめの声で家族達に
楽しく話させてくださいました。
( いつもより声が大きいのはこの方に寄るもので、本当に楽しい人だなぁ〜)
と感心していました。
夕飯作りの時には、その方とは違う 若い男性が私の傍に
来られました。
うちの家族達も近くに寄ってきまして、
「 今日の晩ご飯は 何すんの?」と言ってきます。
ハンバーグとかお肉系を望まれているように思えましたが
( ハンバーグかぁ・・・お肉かぁ・・・作ってあげたいけど
材料が無いんだよねぇ〜)
気軽にスーパーマーケットには行けない生活をしている私は(苦笑)
(ごめんね)と思いました。
その後、私が作り出すメニューを知ってガッカリなさったのか
傍からは離れて行かれました。(大笑)
翌日、朝から 心ウキウキ、そして、心軽やかです。
(朝からこんな楽しい気分をもらえるのって、最高やなぁ〜)
感心しながら、テンションのあがる心軽やかな曲を聴き、
口ずさんだり。(笑)
ここ数日の間のことを色々と思い出していました。
時折、歯の調子が良くないこと、
いつもより、遥かに多い量の甘いものやお菓子を食べてしまっていたこと。
そして、前日の朝と当日の朝に
送るバス停の近くに生えてきていたタケノコも気になりました。
家族達が、「 あ!タケノコ!」と言うのです。
「本当だぁ〜 」と返事しながらも、ぼぉ〜としている私は
「 こっちにもあるよ。」というやりとりに、
(昨日も今日も、タケノコ発見が続くね。)と思っていました。
そうして、
Mさんとのお約束時間前、お電話を頂く15分ぐらい前でしょうか、
ちょこちょこと おふたりが それぞれに話して来られました。
< 痒いの?>
私が、治らない手や腕の湿疹のカユミとピリピリ感に我慢出来ず、
掻いてはいけないと思いながらも ため息まじりにさすっていたら
心配してくれているような声をかけてくださったのです。
( 痒いんです。掻いてはいけないとわかっているのですが、
もう一年ぐらいずっとこういう状態です。痒くて。)
繊細で優しい方だなぁと思っていましたら、
70代前半かな、、、(人の年齢や年台って本当に難しいですね)
男性も来られているようでした。
とても楽しくなってきました。
(あ!この方か〜(笑))と納得。
若い男性が、年配の男性の方を見ながら
< このおじさんに 助けてもらいました。>
( そうですか。)
< 気づいて起きると 周りは暗かったようなんですが、
すぐに おじさんが来てくれて。
助けてもらって助かりました。>
と感激しきり。
( そういうことがあるんですね。よかったですね!)
Mさんからお電話を頂き、
伝わってくることをお伝えしました。
「 この若い男性を、10代後半か・・・20過ぎ・・・
いや20過ぎには見えないかなぁ・・・私には 10代後半ぐらいの可愛い、
可愛いって言ったら失礼ですね、大人の男性なのに。
おわかりになりそうですか?」
「 はい!わかります。」
「 そうですか。それは良かったです。」
「息子さんは・・・なんと言えばしっくり来るかな・・・
とても心軽やかです。
ご家族のお気持ちを察しますと、心軽やかという表現は
ムッとされるかもしれませんが、嘘は言えません。
彼は、居心地の良さを感じておられます。
何と言う表現をすればいいか・・・
水を得た魚?
水が合う?
彼は今、とても居心地が良いのです。」
Mさんをまじえての交流をしていくなかで、
歯が痛かったことも、
お菓子のことも、
優しく繊細なことも 私の内で納得出来ました。
「 もうおひとり来られているのです。男性で、70代に見えます。
とても楽しい方で、歌もお好きだと思えます。
わかりますか?
息子さんは、
< このおじさんに助けてもらった > とおっしゃるのです。
全く知らない方だとは思えません。
ご親戚だと思います。」
Mさんは、しばらくお考えになり、ある男性のことを思い出されました。
「 わかるような・・・気がします。
タケノコ穫りに行ったおじのことを昨日話していたのです。」
「 えっ?! タケノコ?!」
「 はい。タケノコです。」
その瞬間、タケノコのおじさんはものすごく笑われたのです。
( あ、そういうことだったんですね!)
Mさんにわかってもらえた嬉しさと、私の間抜け具合に大笑いされました。
私もおかしくなってきまして、笑いながら、
「 その タケノコおじさんに間違いないです。」
と言いました。
おじさんは、
< (息子を)こっちで預かってるから、安心しなさい。>
とそう話されました。
そのまま、Mさんには伝えました。
< こっちで色々と経験するだろうから、安心しなさい。躾けてやっから。>
笑いながら話されました。
気さくな タケノコおじさんです。
このへんでMさんから頂いたメールの一部をご紹介いたします。
– – – – –
(略)
息子が幸せでよかったです。
お伺いしようとしてメモにまずひとりでいるのではないかと書いたところ
大丈夫だということで安心しました。
(ア:ご質問される前に、息子さんが最初にお話になったのは、独りではないということでした。そして、おじさんも一緒でした。)
ひとりでいるのなら今にでも逝かなくてはと思っておりました。
息子が唯一の生きがいで自分だけ生きているのはちがうのではないかと感じていました。
息子の言葉を伝えていただくとき、一言一言言葉を選んでくださり
締めつけられるような胸の苦しさが和らいでいくのを感じました。
どんなひどい言葉でも受け止める準備はありました。
(略)
止められなかった自分とそこまで苦しんでいるのなら
あちらの世界でも良いのではと思っていた自分を責めました。
息子の様子を聞いて現世では得られない安心感があるようで
遠いところで独り暮らししているように思えました。
親戚のこの時期に亡くなった竹の子のおじさんがいます(笑)
まだいなくなって日が浅いので毎日泣いていますが
息子が笑顔だと知り良かったです。
(略)
息子のために買いものもなくなり、気力もなく仕事を辞めようと思いましたが、
こうして息子の様子を聞けたので(略)辞めずに頑張ろうと思うようになりました。
(略)
父に電話をしたら(略)、タケノコのおじさんは(略)確かに歌も好きでした。
自分のことばかりで祖父母にとっても一人しかいない孫でした…
父は寝込んでしまい…今回のお話を伝えたところ、
いないから忘れていくのではなくて好きだった焼肉も貯金も続けて
何か買ってあげようと大変喜びました。
私も忘れていく方が息子のためかと思いましたが
今日、お話を伺いハンバーグ作り中です。
今度、息子の話を聞くときはお母さん頑張っているねといわれるように
息子も楽しんでいるのなら私も息子のことを思いながら楽しもうと
思えるようにもかんじてきました。
(略)
– – – – –
自ら選んだから・・・
だからといって、暗闇に放り込まれるわけではないのです。
一般的には、イメージが良くないかもしれません。
ですが、
日本は、先進国と言われ続けながらも、自ら選ぶ方々が
ものすごく多いのです。
これを、ご本人だけのせいには出来ません。
魂、運命、前世、何とかっていう方向からは考えられません。
私は憶測や推測で物事を決めつけるのは、真実ではないと思っています。
知ったそうに、それらで判断し、口にされる方を私は疑います。
真実とは、かけ離れているからです。
家族が “家族” を思って、藁をもつかむ思いで探される。
” 家族 ” は、家族に言いたいこと話したいこと_
自分の気持ちや思いを話したいと思われる。
双方の心が繫がっているのを確認するために、私は
交流を引き受けるのだと思っています。
愛する家族を思う気持ち、
愛する人を思う気持ち、
愛する動物家族を思う気持ち、
どの気持ちも 決して ぷっつりと切れてしまっているわけじゃない。
繫がっているのに、切れたと思い込んでおられる。
そんなことはないですよ、と思うのです。
悲しみと不安な気持ちが大きくて、
そうお感じになるだけなのです。
” いないから 忘れていく ” その方が良いんじゃないか・・・
お気持ちを察することは致しますが、そんなことってありません。
忘れるなんて そんな淋しいことってありません。
そう簡単に忘れるわけがありまりません。
共に過ごした時間を 帳消しになんて 出来やしません。
そうでしょう?
肉眼で見なくても、家族は家族です。
何処行ったって、家族は家族。
愛する人は、愛する人のまま。
肉眼で見えなくなっても、愛情は育めます。
とても難しいことですが、
だけど、そうだと思うのです。
正直、何度も何度も 辞めようと思ってきました。
体力的にも 気力的にも 家計的にも(苦笑)、
しんどいからです。
現実的なこととはいえ、弱音です。
真面目に生きれば生きるほど、その実、しんどい_
これは普通ですね。(苦笑)
あまりにもしんどいことが続き過ぎると、
「もう来月辞める!」と心の中でつぶやくんです。
不思議に、数日内に <続けなさいよ> と こう来る。(笑)
そう来たか・・・と苦笑いしながらも、続けています。
私が続けるのは、続けられるのは、
依頼くださる方の依頼フォームやメールに、
ご家族への愛情があふれているからです。
悲しみがあふれているからです。
” ご家族 ” や ” 愛する人 ” が伝えたいとわが家に来られます。
数日前や前日、当日。
何とか自分が元気でいることを伝えたいのだと思うのです。
” 来られる方々 ” を もういない方々だと思ってしまったら
無視してしまったら、私は 私を許せないと思います。
どうぞ、お子さんのために、
お子さんのことを思って、
お孫さんのことを思って、
今までなさってきたことを続けてください。
今まで出来なかったことを愛をこめてなさってください。
あくまでも 自然に。
霊媒なんか通さなくても、そうした愛情は
必ず、ご本人に 直接届いています。
自分の経験から こう申し上げます。
タケノコおじさんが、
< こっちに任せなぁ〜 >
って おっしゃっていますよ!
= おまけ =
芽が少し出ていたクルミを自宅に持ち帰り、家族達が育てています。
芽が育ち、今ではこんなに!
まっすぐ、まっすぐ伸びています。
ぐんぐんと育っています。
毎日、こうして頑張って伸びているクルミから元気をもらえます。(笑)
些細なことですが、植物が育つから、私達は生きていけるのです。
アガサ