まだそういうことを言う人がいるの?

Kさんから頂いたメールの一部です。

同じような思いをなさっている方がおられると思い、

掲載させて頂き、経験に基づいた私の考えを申し上げたいと

思います。

– – – – –
(略)

当時、子を喪ってまだ半年も経たない頃、電話で視ていただき、
交流に涙涙だったことを昨日のことのように思い出されます。

子が旅立って◯年◯ヶ月経ちますが、悲しみは消えること無く、
突然大きな喪失感に襲われますが、前を向いて歩こうと頑張っていたところ、
最近霊視を受ける機会があり視ていただきましたら、
子はまだ成仏出来ていないと言われ、また暗闇の中に突き落とされた気持ちになりました。

– – – – –

お読み頂いた方々それぞれにお考えがあると思います。

ご自分のお考えを大切になさりながら、お読みください。

私は自分の経験や考えが絶対的に正しいとは露ほども思いませんが

言うべきことは言わせて頂こうと思っています。(苦笑)

子どもが他界して、淋しく辛くない親など居ません。

それで普通と思います。

年の順に他界しても、子は親の他界を淋しく思います。

これも普通と思います。

世の中には様々な方々がおられます。

特に見えないとされているものを「見える」とする方々は、

何故か変わった方が多いように思えます。

ご自分の感覚を疑わない方々が多く(苦笑)、自分の感覚が絶対に

正しいように思われています。

(この部分が不思議に思えます。)

別の角度から客観的に物事を見れないし見ない性質の方が多い。

だからでしょうか、目つきがおかしかったり(苦笑)、

何でもかんでもあちらのせいにするように成ってくるのです。

人格が歪んでくるのでしょうね。

ご自分を特別扱いしたいという欲が良識を蝕むんです。

そうした方々は、簡単に人様に「成仏していない」ということを

おっしゃるのです。

まだそういうことを言う人がいるの?! とびっくりします。

口悪い私からしますと「アホか」と思います。

そういう方々の、そうおっしゃる部分、その鈍さが「アホか」です。

( 口が悪くてスミマセン )

成仏するしない、成仏してるしてない_

これらを判断するのは霊媒ではありません。

断言する権利など、誰にも無い。

どんなに有名で著名で能力があると言われていても

そんなことを言う権利など無いのです。

大切なお子さんを愛し続け、心が引き裂かされるような悲しみを

日々お持ちなのは、誰ですか?

親でしょう?

ご家族ですよ。

そんなことを平気で言う霊媒に、何がわかるっていうんです?

思いやりや良識が欠如しているような人から、

言われる筋合いは無い。

思いやりや良識の一片もない人に正しい霊視など出来るとは

到底、思えません。

何をご覧になっているのでしょう。

ご自分の感覚は絶対正しい!と疑わない方でない限り、

そんなことをうすらしゃーしゃーと言えるわけがない。

本当に、酷過ぎる。

ま、いろんな人がいる、ということです。

そういう人の言動は、気になさらないこと。

( 気に障るし、腹立つけど、ほっときましょう。苦笑 )

いつも 子を思い、家族を思っているあなたは、

身勝手で無責任な人の一言に重きをおかれるのではなく、

愛を深さを経験なさっているのですから、これからも

お子さん、ご家族を大切になさること。

愛の深さは、お子さんが一番よくご存知ですよ。

大切な家族、人の他界を経験なさった多くの方々が

あなたのお気持ちをよくわかっておいでです。

きっと皆さん、おっしゃいますよ_

「そんな血も涙も無い霊媒の言うことなんて ほっときなよ!」

って。

私もそう思います。

= おまけ =

長野は本当に「りんご」の木が多いんですね!
柿の成る木は見た事がありましたが、りんごの木は見た事がなかっただけに
テンションがあがりました。
可愛いですね、りんごの木。

ということで、コインロッカーみたいなところで販売されていたりんごを
買いました。
小振りなんですが、すごく美味しい!
不便を利用して(笑)、ジャムを自分で作るようになりました。(大笑)
10キロ歩いてジャム買うより、大量に買えた果物をジャムにする方が楽!

秋は良いよぉ〜(笑)、虫少ないし。(大笑)

アガサ

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2件のコメント

  • お久しぶりです。
    アガサさんのブログの更新があると、おっ!と嬉しくなります☆
    読んでいて、悲しくて、腹立たしくて、悔しくて、涙が出てしまいました。
    私も似たような経験をしていますし、こんな優しくない人間が普通にいる事が情けないです。
    日常から声が消え、一切の視界から姿が消え、触れる事も叶わない、そんな現実をぐっと堪えて毎日生きているのに…。大きな闇の中で小さな光を見つけようと必死にもがいているのに…。
    悔しい思い、寂しい思い、絶望感、色々な感情が1日のうちでも何度もわきおこります。その度に、向こうで幸せに暮らせているのなら…の思いでそれを打ち消し、自分を納得させ、それでもまた寂しくなって…日々それの繰り返しです。
    でも、愛する人を思い踏ん張って生きている人に、平気で無責任な事を言えるしょうもない人、後者側の人間じゃなくて良かった!
    Kさん、私も日々見えない我が子に思いを 馳せている母です。何年たっても、可愛くて、会いたくて、たまらないですね。
    同じ経験をした母親として、エールを込めてコメントさせて頂きました。

  • おっしゃる通りです。その通り。
    霊視霊聴というのは、見る聞く側の生き様すべてが反映されます。
    人前だけ、表向き、美しいことを言えても、それは口先だけ。
    必ず、どこかでボロが出ます。
    それが日常で、生き様です。
    その違いは、わかる人にはわかると思っています。
    親が子にどれだけ会いたいか。
    子が親にどんだけ会いたいか。
    そんなことも分からない、想像も出来ない、相手の気持ちを察せないのなら、人様に申し上げない努力をした方が世の中のためと思います。
    親は自分のことよりも子が可愛く愛しいもの。
    コメントを有難うございます。

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