わたしを生きる、とは

頂いたメールの中に

”「わたしを生きる」ことって 何だろう?”

と書かれていました。

きっと、答えはないのだろうと

思います。

一生懸命に やってることが

「 わたし 」であるかは

判りませんし、

思い通りに、好きなことを

している自分が

「 わたし 」かどうかも

定かではありません。

よくわかりませんが、

人間って、

ある程度の年齢になれば なのか、

ある程度のところまで 行くと

次第に、

子どもの頃の自分に 戻って行く

のではないかなぁ・・・

と、最近思う機会が多いです。

自分自身を振り返っても

そう 思います。

他の人を見聞きして、

” あぁ、何て素晴らしい生き方や

考え方をされるのだろう!”

と思えて、ふと、

私は どうなんだろう?

私は 私らしく生きてるのかな・・・

そう 思ってしまいます。

本当は、

こういうふうに生きたい、

あんなふうに生きたい、

いろいろなことが頭と胸に

押し寄せます。

そして、それら自体が

わがままに 思えるかも しれない。

もし、あの時 ああしていれば・・・

あっちを選んでいれば・・・

私も 何度も 思ったことがあります。

そして、

最後は、いつも同じところに

辿り着きます_

” 私は、

平凡中の平凡。

でも、私を育ててくれた家族がいて、

もう会わないだろう学校の先生方がいて、

多分、会わないだろう旧友たちがいて、

心から愛したペットたちを見送り、

今も、わが子同然、大好きだ。

「 わたしを生きる 」、

「 わたしとは? 」、

「 わたしって何だ?」、

というのは全くわからないけど、

今、生きていれることはスゴいこと。

そう思えてるってことは、しあわせなんだ。

それで 十分かも。

そう思うわたしがいる。

これが「 わたし 」だ。”

生きていて 何の役にたつのか、

生きていて 何になるのか、

何のために 生きているのか、

生かされているのか、

わからないし、

知ろうとも 思わないけれど、

生きたくとも

生きれなかった時代があり、

事故や事件や災害で

命を奪われた多くの人たちが

おられる。

他人事では ないのは、

肌で感じてる。

どこにでもいるような、

平々凡々とした私だけど、

毎日、同じようなことも

丁寧に 生きることで

何か・・・

言葉には 出来ない「何か」に

なってるんじゃないかって

思うのです。

自分を生きるっていうのは、

そういうことなんだろうと思います。

Yさんから頂いた、可愛いコップ。
手に馴染むんですよ。
大量生産ではないものが、私のお気に入りです。

アガサ

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