名前
名前。
尋ねて言ってくれるものではないと思います。
尋ねなくても、言われる時、聴こえる時が私には
あります。
私の場合は、大抵、尋ねません。
すべてを 任せています。
ご依頼人さんの中には、
” 家族 ” の名前を言われたい方、
聞きたい方が おられると思います。
確かに、 “てっとり早い” 情報だと思います。
名前を告げられると、一瞬の驚きはあるにせよ、
そこから愛する家族、会いたい人を感じる・・・
つまり、イメージ出来ることとは また違うように思います。
個人的に、私の中で、
“てっとり早い” 情報に、深みを感じません。
多分、てっとり早い情報で良いのなら、
3分で十分。
3分間というのは、話してみると十分なのです。
カップ麺ではないですが、
「はい!できあがり!終了ぉ」という感じ。
それを言わなきゃ、家族だとは思えない_
これは、強制的です。
強制的なものは あちらには届きません。
どんなことでも、
てっとり早いものは、
どこか無機質なように思えます。
以前、ブログに書いたかもしれませんが、
私の経験を例にします。
随分昔、イギリス在住で長年学んで活動を
している友人から機会を得ました。
私自身の伝え方に、私自身が疑問や壁を感じていた頃で
友人を通して、
祖母が思いやりをくれたのだと思っています。
祖母のことを伝えられました。
「 おばあさんは車に乗る時、何か、特別な気持ち・・・
緊張のようなものを感じていました。」
情報量としては、そんなになかったように思います。
けれども、圧倒的でした。
それだけで、祖母だとわかりました。
祖母の、誰にも言わなかった気持ち。
きっと本人さえ、そうは意識していなかったかもしれません。
他の人にはありきたりで、車に乗り馴れていない時代の人なら、
そうだろうと思うでしょう。
でも、私にとっては、
( あぁ、そうだったんだ・・・そうかもしれない。)
心に、すぅっと入ってきました。
自分の人生を歩み、年齢を重ねてきたからこそ
理解できる気がしました。
その言葉で、祖母の内面までもイメージ出来たのです。
祖母をより身近に思えました。
こうしたこと(交流)は、人によって
受け取り方、考え方が違うと思います。
私が思うところ、そうだと思えることは、
てっとり早い情報を求めること、告げることではなく、
家族を感じる機会だろうと 思っています。
身体はなくとも、家族をイメージできること、
家族を身近に感じる機会だと思っています。
それが、交信で、交流なんだと思います。
大切なことは、
その場に居る者たちが、心を交流すること。
依頼人も、
” 家族 ”も、
霊媒も。
心と心を通いわせることは、
無機質な状態や空気では 叶いません。
数ではなく、質なのだと思います。
そして、そこに、心がなければ。
私は そう思っています。
アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)