何を信じるのか

最愛のご夫婦同士でありながらも、

他人による言動や行動により、

最愛の相手への信頼が崩れてゆき、

長く苦しまれる方々も多いだろうと思います。

そうした経緯は、もちろん事前にはお話頂くことはありません。

私が信じることはただひとつ_

あちらとの交流により ” ご家族 ”がご自分の思いを話され、

それが「正しい」かどうかの見極めだけ。

人情で判断は致しません。

思いやりの気持ちは持っていますが、

真実とごちゃまぜは しません。

それは、別の話。

何度かご依頼を頂いている方を仮にAさんとしておきます。

Aさんのご家族との交流の度に、

ご主人はご自身の身体の症状を伝えてこられます。

毎回、少しずつ違うのか、まったく違う箇所をおっしゃるのかは

覚えていられませんが、Aさんにお伝えするたびに、

「そうです。」と確認出来ます。

< 信じろ、というのは無理があるかもしれない・・・

 信じてほしい。

 信じてくれ。>

そうはっきりと私に話された” ご主人 ”。

それをAさんにお伝えしたところ、ピンと来られたようです。

その言葉をもとに、Aさんが胸にあること_

具体的なことを話されていました。

聴いているものの、次第に私の意識が薄まり、

” ご主人 ” の意識が大部分を占めてくるようでした。

< ○○をしているだけが 自分だと思わないでほしい!

 それが全てだとは思わないでほしい。>

たしか、そのような思いが沸々と沸いていたように思います。

” ご家族 ” のおっしゃることが本当かどうか_

それは、私が判断しているわけではなく、

あちらから「正しい(真実)」という知らせが起こります。

私がこうかなと思いを巡らしても、

「正しい」という知らせが来ない場合だってあります。

その場合は、何度も何度も あちらに尋ね、

合うまで続けます。

これは、簡単なことではありません。

” ご主人 “は自分の意識を私に託され、伝えました。

この微妙な感覚の違いがご依頼人Aさんに伝わったかどうかは、

頂いたメールでわかりました。

Aさんを長く苦しめていたある物を ご自分の領域から

手放されたそうです。

勇気の要ることだったろうと思います。

– – – – –

(中略)

昨日の主人とのひと時は、私の目の前の霧が晴れたような、
一歩前へ踏み出せそうな、そんな時間でした。
これまでの主人は、どこか遠い世界の人のように感じたのですが、
回数を重ねるごとに、より普段通りの主人になってきたように思います。

(中略)※補足:あることをきっかけに※
それまで揺らいだことが無かった主人への信頼が
音を立てて崩れ去ってしまいました。
その日から、頭の中は、主人を失った哀しみとあの出来事で
頭がパンパンになって破裂寸前だったのです。
今すぐには吹っ切れないと思いますが、
ようやく、心穏やかに、純粋に主人を偲ぶことが出来るのですね。

「○○○○なんて無くったっていいさ」
って思っている私がいることに気が付きました。
あの○○○○に捉われていては、私の心がぶれて、
私が知っている今の主人を見失ってしまうところでした。

私がアガサさんに出会えたことは、偶然では無くて必然で、
主人が会わせてくれたのだと信じています。
(中略)
初めてアガサさんのホームページを見つけた昨年の夏、
確か、交信をお休みしておられました。
その一か月後くらいにネットをさまよっていた時に、
再びアガサさんのホームページにたどり着いたのです。
直感で「この人だ!」と思って、その日から数日かけて
ブログを読みあさりました。

アガサさんと主人の会話を聞いてますと、
相性が良いと言いますか、いつもの、冗談が好きで会話が楽しい主人が
そこにいるような気がするのです。
(中略)

主人は、私には勿体ない人です。
永遠にその気持ちは変わらないです。
「私を見つけてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいです。

– – – – –

友人や知人、身内といえども、憶測をさも真実であるかのように

言うタイプの方もいます。

まるで、その場を見ていた!と言わんばかりに。(苦笑)

言われる方の身にもなれ! と私なんぞは思います。

噂好き、興味本位、薄っぺらい品のない憶測による言葉は

どれだけ相手を傷つけるのか、

想像する思いやりさえないのです。

興味本位というのは、誠にお粗末なものです。

信じていれば、揺らがないじゃない_

とおっしゃる方がおられるかも、しれません。

人間というのは、

いつもいつも好調な空気に包まれるわけではありません。

不調な時もあるのです。

そうした時に、思いやりの欠片もないことを耳にすると

人の心というのは 揺らぐものです。

最愛同士と言えども、互いに話し合えないこともあるし、

話し合ったところで、自分の感情に邪魔され、包まれ、

相手の心からの気持ちさえも 素直に受け入れることが

出来ないことも あります。

それもまた、致し方ないこと。

その時、その時の感情があるから、

その時、何をどう判断されようと

それについては 何も思いません。

Aさんが、興味深いことをお話くださいました。

不安が大きい時に地元の霊能者か霊媒のところを

尋ねられたそうです。

そして、伝えられたことは・・・

「 ご主人が離婚したいとおっしゃっています。」とか、

「 だれそれと会っていましたよ。○年前に!」とか。

Aさんは、勇気を振り絞っておっしゃったのでしょうね、

「 あのぉ・・・○年前は無理です。

 主人はもうとっくに闘病していましたので・・・。」

食い下がる霊能者?霊媒?さんは、

「 あ・・・じゃ、もっと前かな・・・」

ですって!

私は、我慢出来ずに、大笑いしました。

オーラに含まれている不安を読み取ってしまっていることも

気づかずに、

それが、” ご家族 ” からの伝えだとおっしゃる!

言われた方が、気の毒です。本当に。

酷い話です。

もし同じような経験をされている方がおられるならば、

安堵なさってください。

何を信じるのか。

誰を信じるのか。

日常を共に過ごしたご家族の姿を信じなさい。

日常というのは、繕うことは出来ません。

キレイキレイで過ごすことは出来ません。

だからこそ、日常。

共に過ごしてきた日々を大切になさい。

誠実な家族の日常に、

なんの不誠実なことがあるでしょうか。

私は そう思います。 


里芋の「親芋」です。どうです?この逞しい存在感。たっくさんの根を出しています。
先月くらいから収穫をしてくれました。


こちらは「子芋」と可愛い「孫芋」。
親芋、子芋、孫芋。それぞれに食感は違います。
親芋は茹でても固めですが、歯ごたえがあります。
子芋は、親芋より柔らかく、孫芋はさらに柔らかい。
我が家では、煮物として何回も舌鼓を打ちました。
茹でたあと、小麦粉にまぶして、さっと炒めたあとお醤油にまぶしました。
里芋ステーキのようで、とても美味しかったです。
里芋は、脳や美容にもとても良いそうですよ。

旬のものは、季節季節に私たちに必要な栄養を含んでいます。
身体を大切にするというのは、日頃食べる素材にも気を配ることが
地味ですがとても大きいと思います。

アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~

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