思いもよらない、人から。
お待合せの場所へ行き、その辺を見回しても おられません。
( あれ?)
と思ったと同時に、違う方向を見ますと、いらっしゃいました。
( きっと あの方だ。)
「 Mさ〜ん!」
私の呼び声が届いたようで こちらを向かれました。
「 早くに着いてしまって・・・すみません。」と申し訳なさそうに
おっしゃいました。
お会いする前に 私に話しかけてくださった方々もおられるのですが
私もうっかり者で、書き留めておける時と お話を普通に聴き、
ちょっとしたお喋りのようなことをして そのまま消え入られることも
あるのです。
この日も そうでした。
Mさんにアガサ部屋へお越し頂いて、少しだけお喋りをして
静かな時間を1分程頂くと、
ある男性が姿を見せてくださいました。
視えること、感知することをお伝えしますと、
「 主人ですわ。」
「 え? ご、主人、ですか? 」
「 はい。姿からすると・・・」
正しい、という連絡がむこうから来ないこともあり、
私自身もそうだとは思えません。
「 失礼ですが、ご主人は お元気なのでは?」
「 はい。」
協力しようと思ってくださるお気持ちをとても有難く思いつつ、
「 いえ。私がお伝えする方は、” あちら ” の方々です。
ご主人がお元気なら、この方はご主人に似ておられる方だろうと思います。」
ちょっと お考えになっていたご様子。
「 無理にお探しにならなくても 良いんですよ。
でも、この方はご親戚だと私は思います。
親戚であっても、よくわからない・・・ということもありますから。」
「 はい・・・
あ! 義父かも。あ、そうです。」
「 あてはめなくても良いですよ。私が描写したような方ならば、
きっとそうでしょうけれど。笑 」
と言いながら、伝えてこられることを追加で話しました。
「 エプロンをされています。お店をなさっていたのでしょう。
えっと、何のお店かわかれば良いんですが・・・」
( 食べ物・・・ですか?)
正しいという連絡がむこうから来ますので、そのことをお伝えすると、
「 そうです。義父の仕事はそうでした。」
私が感知するご性格面も その通りだったようです。
「 では、何をお話になりたいのか待ってみましょう。」
「 はい。」
「 怒っておられるようです。Mさんに対してではありません。
息子さんに、です。 あ、ご主人に、ということです。
怒るという表現もしっくり来ないな・・・
Mさんには感謝なさっています。
とても良い嫁さんだと思っておられます。
が、『 甘やかしているように思える。』とも思っておられます。
お分かりになりますか?」
Mさんの空気は びっくりしているようでした。
思いがけない人が伝えられ、その思いがけない身内の方からの
話しかけに Mさんの心を見透かされていた、
ご存知だったのだと嬉しかったのでしょうね、
泣いておられたように思います。
「 まさか、義父が来てくれるとは思いませんでした。
特別に仲が良いというわけではありませんでしたが、
私のことを親切にしてくれていたように思います。
病院へ行った時に・・・
病院へは身内はほとんど顔を出さなかったようですが、
私が病院へ行った時に、『 お義父さん 』と声をかけたんです。
そのあと しばらくしてから 亡くなったという連絡を受けて。
私が声をかけたのがよくなかったのかな・・・と思っていたのです。」
< 有難かった・・・嬉しかった・・・>
「 ありがたかった、うれしかったと 思っておいでですよ。」
< それを言いたかったんです。>
「 御礼の気持ちを言いたかったそうです。」
「 そうでしたか。」
お義父さんのおっしゃりたいことが まだ どことなく
続いていような気がしたので、私は、この方以外に心を向けました。
( あ、ワンちゃんが いる。ワンちゃんと一緒なんだ。)
「 あのですね、この方、ワンちゃんと一緒ですよ。
ある一定の距離を持っておられるんですけど、
おとうさんなりに 気にされて 可愛がっておられるんじゃないかと
おふたり(一人と一匹)を視ていて そう思います。」
Mさんは、そのワンちゃんをご存知でした。
「 他にどなたがおられるのか、探しましょうか・・・」
「 私が会いたいと願っていたのは、そのワンちゃんです。」
「 あ、そうなんですか。」
「 はい。」
「 仲の良かった祖父母もいるんですが・・・
まさか、義父が真っ先に来られるなんて 思ってもみませんでした。」
「 あちらの順番というものは、どういうふうになっているのかは
わからないんです、私。 分析することもしません。」
誰かが自分の心(悩みなど)を知ってくれている、
関心をよせてくれている_
しかも、思いもよらない人から。
それはそれは、びっくりですが、ほっとすることでもあるように思います。
なかなか口に出せない思い、悩みを
ひたすら耐えてきている時に そうしたことを知る、知らされるのは
本当に心安らぎます。
耐えていただけに、心が温かくなるような経験が私自身にあります。
伝えられるその人が、誰であるか。
それを認めようとする、しないは、ご依頼人さんの心の状態に
関係してくると私は思っています。
少しの描写などでも「 そうです。」と思える人と、
多くの情報を言われなければ認められない、と思う人と、
自分が言ってほしいことを伝えてこれなければ、と思う人 等
実に様々です。
私が、常に申し上げていること_
” 会いたいと思う人だけに限定しないでください。
親戚、知人といったところまで、心を広げてあげてください。”
ということ。
あちらの世界の自由度を広げてあげたいのです。
私たちが四角四面に ” 決め込んで ” しまったならば
それは、交流ではなくなるように思うのです。
Mさんは、わずかな描写ですでに「その人」だと思われました。
頭で理解(納得)する前に 心がそう感じます。
人によっては、涙となり流れ出てくるものがあり、
人によっては、夢うつつのような時間を感じられるようです。
いづれにせよ、
ご依頼人さんの心が受け入れられた場合、
すぐに、私の身体には わかってもらえた喜びが流れます。
その体感を感じ取りながら、あちらとこちらの人同士の交流を
心身で共有させて頂くのです。
本当に嬉しいだろうなと思います。
思いもよらない人からの伝言は、
思いもよらないほど
心にズドンと
優しく、温かいものを与えてくれました。
自由を尊重することは、覚悟も必要です。
アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~