日常のこと

私が大切に思っていることは、

普段の生活

日常

現実

飾り気の無い、そのままの姿。

けれども、

自分が大切に思っていることが本当にそうかどうかは

わからないものです。

心からそう思っていると信じ込んでいるだけなのかもしれない・・・

思っていることや考えていることと

実際の行動が伴っているんだろうか?・・・

そんなふうに自分自身のことを思います。

先日、北海道のYさんご夫妻から、すごく新鮮なさんまが

たくさん届きました。

気候の厳しいところの作物やお魚は、ことの他に思います。

旬のものを頂くのは、その季節の身体に必要なものですから

最高のご馳走です。

少しだけご近所さん方におすそわけをして、

「 さあ!届きたてを頂こう!」

と私は、さんまを捌き始めました。

「 ここをこうやって、こうするんだよ。」

「 ここはね、こうした方がこうだから、こうするんだ。」

というような簡単な説明をしながら(笑)、捌きました。

子どもの表情も真剣そのもの。

すると、自分がふたり重なったかのような感覚になり、

心臓はドキドキするわ、

指先は震えてくるわ、で びっくりしました。

( 私と違う・・・)

でも、こういうことは長年の茶飯事なことなので

お得意の ” すぐ忘れ ” で忘れてしまいました。

翌日のご依頼時、お伝えの最中に、突然、

< 魚を捌くことが怖かった >

と言われたのです。

直前まで違う話を聞いていただけに、突然の話題展開で、

少し驚きつつも、

ご依頼人Nさんにそのことをお伝えしました。

「 お母さんは魚を捌くのが苦手だったようです。

 同時に私の昨日のことを思い出させてくれました。

 昨日、私がたまたま、魚を捌く機会があり、

 すごく動揺させられたのです。

 おかしいなと思っていたのですが、なるほど。

 私が妙に納得しました。

 お母さんのそのことは、ご存知でしたか?」

Nさんは、

「 いいえ。母がそうだったかどうかはわかりません。」とのこと。

私は、

「 いいんですよ。おわかりにならないことはそのままで。」

魚を捌くことについては話が通り過ぎていました。

後日、Nさんからご連絡を頂きました。

– – – – –

(略)

父に確認したところ、母は魚をさばくのが苦手だったようです!
知らなかったのでびっくりです。

何度も連絡してしまいすみません。
これだけは伝えておきたかったのです。

– – – – –

私は、胸いっぱいになりました。

魚を捌く、なんて本当に日常のこと。

とるに足りないことなのだろうと思います。

だけど、それを知らせてくださった。

知らなかったことが、後にそうだったと知らされる_

この衝撃は、Nさんにとって大きな喜びになったと思います。

家族だと思えること。

証拠。

証拠の数。

正直、私は「 数 」にはこだわりません。

数にこだわってしまうと、味気ない交流になり、

交流してくださっている方々にとても失礼な気持ちになります。

極端なことをいえば、

” たったひとつ。”

たったひとつであっても、

それを伝えてくれた家族の気持ちを思いますと

愛しい、

嬉しい、

と思えるかどうか・・・

です。

思いやりというのは、そういうことなのだと思います。

なんでも、多いに越したことはないのかもしれません。

だけど、数が多いと人間というのは”感覚”が麻痺してきます。

愛着が薄れる。

思いが薄れる。

感覚が鈍る。

感性が乏しくなる。

相手の立場になって考える想像力が乏しくなる、

という具合です。

本当に大事なことやものは、そんなに多くないのです。

大変な交流状態もありますし、

身体が楽な交流もあります。

辛い交流もあれば、

喜びと楽しさにあふれた交流もあります。

大切に思っていることが、

Nさんの後日ご連絡で、私自身に対しても

自分の”本当”を証明されたんだと思えました。

だから、

胸いっぱいに なったんです。

魚を捌くなんて、すごく地味で特別なことでもないけれど、

常日頃を大事にしているからこそ、

伝えることが出来たんだと思いました。

誰にでも当てはまりそうで、当てはまらない。

Nさんのお父さんは、突然、娘からそういうことを

尋ねられ、びっくりされたと思います。

だけど、

( お母さんだ。そうそう、苦手で怖がっていた。)

と懐かしい気持ちになられたかもしれません。

日常のことなんて、

忘れていきます。

自分に関係のある、よっぽどのイベント的な事でない限り、

人は忘れていきます。

イベント的なことに、家族の愛が在るのではなくて

苦手なこと、怖かったけれど、

家族のために、勇気を出して魚を捌いていた母の愛に

すごく感動しました。

お母さんは、

本当に怖かったんですよ。魚の捌きが。

だけど、家族の健康のために、なさった。

どれくらい苦手に思われていたのかは、わかります。

私が捌いていた時、突然、怖く思えたんですもの。(苦笑)

お母さんのお気持ちだったんですね。

< 娘ともうすこし、話していたかったんです。

 そばにいたかった。

 その分、いま、こうして孫と遊んだり、

 ご飯の準備を手伝ったり(見守る)できるのが

 穏やかでしあわせです。>

Nさんには、

「 お母さんはそうおっしゃっています。

 私からするとまるで、上京してるという感じです。

 しばらくしたら、お父さん(ご主人)のところに

 お帰りになりますよ。」

と 伝えました。

どうぞ、ごゆっくりなさってください。

= おまけ =

前橋在住の友人に料理研究家の先生がいます。
彼女は身体に自然なものを食材にして、とても美味しいものを作り出します。
子どもの誕生日に「遅れた〜!ごめんね!」というメッセージカード付きで
送られてきた手作りお菓子たち。
食材を厳選につぐ、厳選し、考えに考えて。あくなき研究を地道になさってます。
だからでしょうね。他のお菓子たちとは違うんです。
とても温かい空気で、ほっこりします。安心して食べられます。
彼女が作るお菓子やお料理は、あっという間に完売するそう。
姉であり心友であるKさん手書きのメッセージカードに書かれた
「完売」文字には、納得です。


テーブルに座ると膝のあたりに、熱い空気が。ハァハァと。。。
ごんです。ごんの息。
「 食べたい。くれ。」でしょうか・・・(笑)
あげないよ、ごん。
そのかわり、ふかしたお芋さんをあげるから。

まったく、イジワルで食い意地の張ってる私とゴンです。

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