伸び伸びと自由に。
家族関係は、様々です。
家族全員の関係が良好なのが正しくて、
そうではないのが駄目で・・・というようには捉えていません。
縁あって家族になったとはいえ、皆が皆、常に、互いに
思いやり合う・・・というわけではないのです。
私は、ただ、正直に伝えるだけ。
お約束時間の1時間半前から調整する時間を過ごしている私は
突然、後頭部の上のあたりから、斜め下に向けて
何とも言い難い、鋭い痛みを感じました。
日常的に人様の痛みを体験していますと、痛み具合や周囲の空気で
” ご本人 “がわざわざおっしゃらなくても、大体 わかります。
私達の居る世界では、言わないとわからないことがほとんどですが、
他界では、言わないでもわかる(察する)ことが多いです。
それを言葉に直すのが難しいと感じます。
ご自分のことを言わない方々も おられます。
皆が皆、自己アピールしたい方々ばかりではありません。
そのあたりも、意を組んであげたいと思っています。
言葉を飲むことも、
その気持ちの深いところも、わかってあげたい_
心からそう思っています。
たまに、わかり過ぎて辛いこともあります。
そういう時、私は泣きます。
さて。
Aさんはとてもお若く、お子さんがいらっしゃるとは到底思えない程、
可愛らしい女性です。
実際は、私が思っていた年齢よりも約10才ぐらい大人だとか。
人の年齢って、本当に分からないもんですねぇ。(笑)
Aさんが来られるまで気配さえ全くなかった、”この方”。
性別、大体の年齢、背格好、お顔の形、服装などを伝えた後、
事前にあった痛みの箇所と、どういう痛みなのかについても
お話ししました。
「 この方に、お心あたりはありますか?」
「 はい。そうだと思います。」
「 そうですか。ではこのまま、この方と交流しますね。」
あ、そうそう。
Aさんがお越しになる前、私の目は、窓から見える緑ばかりを
追っていました。
それでもぼんやりと窓から見える緑を眺めていました。
すると、働き盛りの男性の声で
< 緑が多いところ・・・田舎の方が良い。
子どもたちも伸び伸び育つ・・・
周囲の・・・年配の人達の目もあるし・・・>
そう話されました。
( あなたのご意見ということで、お伝えしますね。)
彼は、とても楽しそうに、嬉しそうに来ておられました。
とにかく、ご本人の心はとても軽やかでした。
Aさんはたしか、このようにおっしゃっていました_
「 彼に怒られると思って、覚悟してきました。
彼が亡くなってから、霧が晴れるかのようにも思いました。
夫を亡くした妻は、悲しまないとおかしい・・・と思っていました。
感謝することはあっても、悲しいと思えない自分がおかしいのかな
と思いました。」
というように。
私は、こう話しました_
「 一般的には、そう思われると思いますが、私はそうは思いません。
こうだから、こうしないといけない・・・というのは、世間体。
これだけ、ご主人が心軽やかです。私は正直に伝えるだけです。
ご主人の肩も、Aさんの肩も、どちらも持ちません。
世間体の目で物事を見聞きして、判断する人達は確かにおられますが
そんなのはほっとけば良いのです。
好きなように言わせておけば良い。
ご主人も、Aさんも、お子さん方も、伸び伸びと自由になさるのが
一番ですから。」
Aさんは、拙ブログをお読みなって、
伴侶の他界を経験なさった方々が全員、悲しみの中におられるのだと
思えておられたようです。
ご自分は悲しい気持ちよりも、
“子ども達をしっかり育てないと!”
” 家族達とポジティブに生きていきたい!”
という気持ちの方が大きいですとおっしゃっていました。
ご家族や親しい方の他界を経験された方々の反応に
こうでなければいけないという枠に他人が当てはめる自体が
おかしいと私は思っています。
人それぞれ、環境が違います。
家族を有難いと思える人もいれば、
家族が鬼のように思える人も居るのです。
どちらが正しい、ということはありません。
単に環境や経験の違いです。
そこに固執する必要は全くないと思っています。
– – – – –
(略)
亡くなった事実については、考えれば悲しいし涙も出ます。
しかしもっと自分の未来を考えたとき、意外と鬱々とした気分にならないのです。
主人には申し訳ないのですが、執着から解放されて、自由の身になったという解放感。
気を引き締めて子育てしなきゃ という覚悟。
何となくではありますが、主人自身も解放されて生前の鬱々とした雰囲気が
なくなっているという感じがしていました。
出来れば彼も生きて、彼なりに新しい人生を謳歌してほしかったです。
(中略)
やっぱり一番驚いているのは、彼が浮かれている?喜んでいる?楽しそうということです。
私が彼とコンタクトを取りに来て、純粋に喜んでくれていると。
一切、怒ったり恨んだりという感情がないと お聞きして、
本当に本当に驚きましたし、ほっとしました。
(中略)
純粋にただ「好きだ」と。「会えにきてくれて嬉しい」と。
私のしたことを、ひとつも責めもせず、そうやってポジティブな姿を見せてくれたことに、
そんな主人に今では「愛しい」とさえ思っています。
そんな感情、本来ならあり得ないんですよ、(ごめんね旦那)
今日、ようやく主人と仲直りできたような気がします。
(略)
– – – – –
Aさんのご事情を聞けば、一般的な人や人生相談的霊媒は、
立派なことをおっしゃるかも しれません。
そして、お決まりのように、
” 貴女に取り憑いておられる。” とか、
恨みつらみ的なこと、不安めいたことをこれでもか!という程
おっしゃるかも しれません。
ご依頼人の心理を読み取っての伝えなら、そうなるかもしれない。
でも、それは、” ご本人 ” の意思ではないのです。
冒頭にも申し上げたように、
家族関係というのは、様々です。
伸び伸びと自由に・・・
というのは、好き勝手、という意味ではありません。
自由に行動するということは、その責任も負うのです。
自分が選んだことについて、
例え、それが失敗になろうと、うまいこと行かなくても、
一切、他人のせいにしないこと。
自分以外の何かのせいにして生きることほど、
情けないことは ありません。
覚悟をして生きることは、いつも、誰にとっても大事です。
すべての行動は、自分に帰ってくるだけ。
人を恨まない。
人を羨まない。
ネガティブが悪くて、ポジティブが良い、ということではありません。
ネガティブもポジティブも、その両方がバランス良く働くのが
良いように思います。
伸び伸びと自由に生きることの真価は、
そう出来なかった時期があるからこそ 有難いと実感出来るのです。
心が解放されるのも、辛い時期があったからこそ、です。
人生、何が起こるか 誰にも分かりません。
分からないからこそ、良いんじゃないかなぁ〜
と思うのです。
頂いたお菓子を貰えるのをじぃーーーーと待つ、ごん。
私は「待て!」をさせない人なので、この後すぐに食べれたんですよ。
良かったね、ごん。
ご主人様だったら、こうはすぐに食べれないよ!(大笑)
アガサ