心の眼で

年末、いかがお過ごしですか?
私はいつも、一緒。笑
どこにも行かず、です。笑

12月、空気がクリスマス・年末に染まってきたら
人恋しくなります。
温かな家庭、笑い声、何を作ろうか、どうしているかな、とか。

大切な家族、大切な人、大切な動物家族が
他界された方々にとって、このシーズンは
淋しさがいつもより増すように思います。

年末集まった家族や親戚、友人たちとの話が合わない・・・
何だか、変人扱いをされてしまう、大丈夫?と斜めから
心配されてしまう・・・
こういうご経験をされた方々も多くいらっしゃると思います。

天国
死後の世界
あちら

さまざまな言い方があります。
どれもしっくりこないので、今までは他界と
表現していましたが、ここにきて、それも
違うなぁ〜と思うようになりました。

本質界。
パッとこれが指先から出ました。
それでも、読み慣れない方々も多くおられると
思いますので、他界と表現しておきます。

他界との会話は、えっと・・・どのくらい?
はっきり年数は覚えていませんが、
おそらく、50年程経つと思います。

もう そんなに経つんだなぁ・・・
その時その時生きるのが精一杯でも
振り返ってみれば、あっという間。笑

他界のことは、子供の頃から他言しませんでした。
特に身近な家族や友人といった人たちには。
別段、言う”必要”を感じなかったのです。
子供心に、自分の胸にだけと思ってきました。

わかる人とわからない人がいて、当然で当たり前。
特別とか、そういう気持ちは全く無かった。
言えるわけがありません。
元々、理解など求めなかったから。

自分が見えているから、聞こえるからといって、
それを口にして、どーするの?と思ってました。
何がしたいの?って。
決して、美しく、心地良く思えていたわけではないから。
自分で自分を何度も”頭がおかしくなった”と思い、
できる限り、見聞きしたく無かったのです。

それでも、優しく温かい心に触れること、
本質を聞くことは納得することばかりでした。
信じる、信じないレベルではないのが本質。
そうしたものは、
口から放ってしまえば、即、
輝きがなくなるような気がしました。
まるで、手の平に雪が乗って溶けてしまうような感じ。
手に乗せなければ、ちょっと離れて見ていれば
綺麗な雪の結晶に包まれている感じだから。
それと、
他界の全てを知り尽くしたわけではなく、
知らないことの方が多いから普通に生きれる・・・
そんな気もしていたからです。

どれだけ、
真剣に、心から話しても、語り尽くせない。
大事なものは、きっと、大きくて
言うことは難しいなと思えていました。

他界を勘違いされたくない、
絵空事と思われては申し訳ない、
ということだったんです。

人それぞれの、物の考え方、人生観、死生観があると思うのです。
自分との違いがあるからといって、寂しく思うことはありません。
分かり合えない、とは違うと思うのです。

ひとりだと決めつけ、頑張る必要はないと思います。
あるいは、
分かりあえる人同士だけで、連めば良いということでもない_
連む(群れる)ことは、良し悪しがあると思います。笑
圧力などの我欲、主義のようなものに傾倒すると、
他界の流れや空気は遠く感じられるように思えます。

肉眼で見えないこと、手で触れられないものは、
存在しないのではないと思います。
愛や信頼は、肉眼では見えない。
悲しみや辛さも、そう。
分かりやすい表現だけをそうだと決めつけてる内は
大切なこと、本質は何も見えていないと思います。

人は、考える能力に長けていますが
本当のところを見ようとしない。

「 相手と自分がいる。結局は、自分と相手がどうか。」
ということです。



大好きなご家族、
大好きな人、
大好きな動物家族、と 自分の関係。
繋がり
信頼
愛情
慈愛
深い思い、募る思い、それだけで良いんだということです。

今までと同じように、今まで以上に大切に思えるじゃない。
これって、寂しいことではありません。
逆です。
すごいことだと思います。

あぁ、こんなに大事で大切で、愛していたんだ・・・
私の一部だったんだ・・・
生き甲斐だったんだ・・・
それに気づかなかった・・・
気づいていても、今ほどは気づかなった・・・

それに気づいたんですから、ど偉いことですよ。
このことをよく、よく、わかって頂きたいと思います。

肉眼で見えないから、寂しく思うのは当たり前。
だけど、
寂しさ(自分の感情、自分寄り)辛さを超えたもの(本質)を
私たちは大事にして、心に刻んで、素心で生きていきたい_
こう思います。



心の眼を思い出すこと。
心の眼をそっと大切に。
大事なあの人は、あなたのそばにおられる。
愛しい我が子は、あなたのそばにおられる。

違います?!
しっかりせんとあきませんよ!

信頼込めて、最後の2行書きました。
しっかりせんとあかんのです、私らは。笑
悲しくても辛くても、
ひとりぼっちではないのです。



親愛込めて
アガサ



今朝のりんご散歩道です。もうね、雪・雪・雪。飽きたわぁ〜大笑。ま、でも、雪が降らないと生き物は困りますからね。飲み水の源ですから。みんなが無事でいますように。みんなが無難で入れますように。南天の赤い実の写真に願掛けいたします!身体、お大事に。私も気をつけます。
+40

2件のコメント

  • アガサさま

    去年は大変お世話になりました。今年もまたよろしくお願い致しますm(__)m

    私のメールを取り上げていただいたようで・・・。ありがとうございます。

    価値観の違いで離婚するカップルも私の周囲では多いのですが、それは人それぞれと考えたほうが良さそうですね。

    私も価値観の違いや死生観の違いは、かなり気になってしまいますが・・。それは私が本質を理解できていない証拠ですね(@@)

    頑張らず、でもしっかり(ですよね?)していくよう心がけたいと思います!

    毎日寒いですから、どうか体調にはお気をつけてお過ごしください。

    • Y様、コメントありがとうございます。(実名を守るために頭文字英字表記させて頂きました)
      頂くメールは、私にとりましてとても貴重です。同時に、お読み頂いています方々の胸にも似た感情があると思います。頂くメールは、私の心を振り返る機会と思っています。有難うございます。
      家族、実家、血縁関係にある親戚、そして、友達といった身近な人達と考え方や感覚がほぼ同じ方向であれば、楽だと思います。「そうそう!そう思うよね!」と同調されれば、楽です。ところが、どれだけ同調されても、本心からそう思っている人と口先だけの人というのは空気感が違います。そうすると何だか虚しさが芽生えてくるように思います。

      どんなに深く信頼し合っている者同士でも、100%と思い込んでは、お互いに息苦しいでしょう。5割ぐらい考え方が似てるなぁ〜とほわっと思えれば、嬉しいですよね。 これは、相手を信じない、ということではないのです。 自分と相手に「心の余裕」を与えることにもなると思います。 私自身、「こうでないといけない、こうしないといけない」という思いや考えは、自分で自分が苦しく思うことが多いです。黙々と悶々と同時に感じながら思うのですが(笑)、それは私の我欲だよなと思うようになりました。

      本質を知り尽くすことはどんなに頭脳明晰な人でも無理。心を知り尽くすのも無理でしょう。人の感情はシンプルですが、とても複雑です。 大切なことは、尊重する心だと思います。 全ての人、全ての動物、全ての植物は、唯一無二です。

      Yさんは唯一無二。母上も。そして、身近なご家族、ご親戚、ご友人もそれぞれに唯一無二の存在です。 頑張ることなかれ! 大笑
      いつも、心優しいお気遣いメールをありがとうございます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Translate ≫