自他尊重

体調をお気遣い頂き、おそれいります。

おかげさまで、普段通りになりました。

これも温かいお気持ちのおかげと思います。


さて。

自他尊重について、思うところを書きます。

以前より、多くの方々からこういうお話をお聴きします。

このブログでも何度か書かせて頂いていると思いますが

また書かせてください。


「愛する人、愛する家族の他界に関して、

他界後の存在に関しての家族・友人からの

言葉(意見)に傷つきます」

ということ。


他界、死後のことというのは 本当に繊細なことなのです。

大抵は、口論、仲違い、疎遠・・・一時的でも

こういうようになってしまわれる方々も多くおられます。

耳で聴きながら、メールを読みながら、

「そりゃぁ、ひどいこと言われたなぁ・・・」

と思うことも多々あります。

実際、心無い言葉をかけられる方々も多いのです。

でも、

公平に物事を捉えたいのです。


家族間であっても、感性や考え方が違います。

気持ちを話した時に、すぐに共感してもらえれば

話した側としても 心が救われるように思えます。


ただ、

思ったような反応が返ってこないと、拒否反応が

沸々と湧き出てしまいます。(これも自然)


ご存知のように、私は子供の頃からのことでしたから

自分の目に見えていることをビビりながら震えながら、

親に知らせに行っても「気のせい」「神経が細いから」

と言われ、なだめられました。

何回かブルブル震えながら(心で助けてと思いながら)

知らせにいっても、同じ。苦笑


経験してないからわからないことだから仕方ない_

と割り切るようにしました。

そう思えてからは、言わない。

誰にも、言わない。

怖くても 言わない。


それが良かったのかどうかはわかりませんけれど、

自分的には、ある種の”自覚”を養えたと思っています。


「大事なことは、誰かに認められることが必要?
 ううん。そうじゃない。
 最後は、相手(または物事)と自分の関係なんだ。
 自分が大事だと思えるなら、それで良いんだ。
 第三者は関係ない。
 自分がどう思うか? ということだけだ。」

まあ、子供にしては 頑張ったと思います。大笑

これは、オバハンになった今も胸にある生きる哲学。

 

誰もわかってくれない・・・

愛する人の存在を拒否されている・・・

では、ないのです。

共感されないからといって、心を閉ざすことは違います。

そんな勿体ないことはありません。


他界後のことについては、自分が経験しない限り

わからないことです。

人によっては「アヤシイ」ことだと捉えられても仕方ありません。

スピリチュアルビジネスの被害に遭われている方々が

非常に多くいらっしゃいますから、仕方ないです。


親しい人や話しやすい人に、自分の思いや経験を

打ち明けると、大抵の方々は

「大丈夫かなぁ?騙されているんじゃないの?」

と思われるでしょう。

そう思っても そのことを言わずに、

「あなたがそう思うことで気持ちが落ち着くなら」

と声かけをされる。

精一杯の思いやりだと 私は思うのです。


自分をわかってほしい

誰もが皆、こう思い願います。

ならば、

相手の考え方(個性や感性)も尊重せねば

アンバランス。


不公平・不平等は、偏見や偏向を生み出し、

真実さえ歪められてしまう。

人数が多い(多数決)ことが必ずしも真実・正・善

とは限りません。


拙いこの文章ですが、言葉の奥に在る心を

捉えて頂ければありがたいです。

心より書きました。

アガサ



〜日常のひとこま〜

これ、なぁ〜んだ?笑 そう!あの苦いゴーヤです。ゴーヤといえば緑色のイメージですが、熟してくると、オレンジ→黄色に成ります。で、中のワタがこうなるんです!びっくりでしょ!びっくりしましたよ。ルビーか苺キャンディーのようになって、甘味が出るんです。(飴ちゃんの甘さとは違いました)このように熟した時に蟻たちは食べに?来るみたいですよ。ま〜、当たり前と思っていたことは全体の一部なんですね。経験した先を想像することも大切ですね。ゴーヤ、ありがとう!笑

+47

2件のコメント

  • 子供のときに理解なさったとは!流石アガサさんと思います。
    素晴らしいお方だなあといつも思います。

    オバサンの歳になった私にでさえ、多少の承認欲求はありますし、相手に分かってもらえないと孤独を感じる日もありますから。

    いつも自らを反省させられています。
    ありがとうございます。

    • SY様
      素晴らしくもなんともないです。おそれいります。
      子どもの頃から不公平に対して強烈に疑問を持ってしまう子でした。
      それが強すぎる正義感になって、時々、家族から「抑えろよ」と言われることも多かったです。相手が大人であっても噛み付くぐらいの。苦笑
      自分の嫌なところがいっぱいあって、なんで自分はこうなんだろうって思い、自己主張があるなら、相手主張もあって当たり前だと思えて。笑
      考えるのが面倒になってきたら、「ま〜、ええわ」で良しとしました。

      単純で、複雑。
      複雑だけど、単純。
      まぁ、気楽が最高に幸せだなと思えるようになれました。

      これも、SYさんをはじめ、みなさんのおかげです。
      ありがとうございます。

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