へこたれても

人生っていうのは、本当にいろいろ起こりますね。

ほんまに。苦笑

もう 勘弁してくれよと毎回思います。笑


その時その時なりに、懸命にいろいろ考えて

自分なりの”落としどころ”を何とか見つけようとしたり。

考えも思いも、あっちいったり こっちいったり。笑

もう 嫌やなぁ・・・

しんどいなぁ・・・

などと色々と思ってしまいます。笑


考えて 考えて 考えて 考えて。

何が正しいかなんて わからない。

それが正しいとは 思えなくても

選択肢が少ない時も ありますよね。

もう・・・ここまでか・・・

って。


自分で想像はできていても、

もうちょっと踏ん張れば、状況がマシになるんじゃないか・・・

なんとかなるんじゃないか(なってほしいなぁ)と

思ったりもする。苦笑


読んでくださっている方も 多くの経験を

されていると思います。

身動きのとれない時期、ありますもんね。


悩みが深くなっていくところから、

心底落ち込む時って、誰にも胸の内は話せない_

こう思うんです。

ニュースなどで「困ったり悩んでいる時は話して」

と親切に書いてあります。

けどね、

話せないもんなんですよ、底に向かうカーブでは。

それで自然なんじゃないかなぁ〜と思います。


困っている状況で、答えを出さないとならない時

ひとり考えるのは、苦しい。

すごい 苦しい。

けど すごく大切。

そう思うのです。

これは、現の界も他界も同じ。

辛い、悲しい、苦しい、といったしんどい状況から

” 少しでも速く逃れたい!”

誰しもこう思って、普通。苦笑


親しい間柄の人に何らかの方法で話せるのは

自分的な「底」から少しあがってくる時。

そう思います。

底から上へのカーブへ向かいたての時期は、

考えや思いは、まだまだ縺れていると思えます。


こういう時に、親しい間柄の人やたまたま出会った人、

信号待ちをしている時に聞こえてくる他の人の話から

心響くものが、ふっとやってきます。

あ、って。


ふんわりと優しく感じるかも しれない

心が温まる感じかも しれない

電光石火のように感じるかも しれない

いづれにせよ、(あ、そうやんな)と思えてしまうんです。

不思議ですよね。笑


有難いなぁ〜って思えます。

もう起き上がれないほど、へこたれてしまっていても

私らは どこかで自分を取り戻そうとしているんだと思うのです。


今、生きることがしんどいあなた。

私もね、へこたれることが多いです。苦笑

情けないというか、もうええってと思います。

老年期に入って 体力も衰えていく一方なのに、

勘弁してよ と思います。笑


あーでもない、こーでもないと考えては

シュンとなります。苦笑


だけど、

生きづらい世の中だとは 思いたくない。

思ったところで、

すぐに世の中(国)が変わるわけがないから。

自分が立候補するわけがないから。大笑


どんなに困った状況になっても、

必ず ” 抜け道 ” がある。

今すぐに叶わなくても、回り道を一旦して、

ちょっとずつ 近づくぞ。

悩むだけ悩んだら、諦めのわるい自分が

「ちょっと 待たんかい!」と前に出てくるんです。笑

Aプランが無理なら、Bプランを考えろ!

みたいな感じ。笑

自分でも「え?何?急に」とびっくりするんです。

あほちゃう?って思えるんですが、

いつの間にか 活気が出てくるんです。

不思議ですよね 笑


忘れてはならないのは、

どんな状況であっても、

私らは 孤独ではない ってこと。

気にかけてくれる人たちがいるってこと。

現の世、他界、それぞれから友情愛情のエールを

もらっているんだって。


必ず、” 抜け道 ” は在るから。

へこたれても へこたれんとこ。



アガサ



補足:「へこたれる」

京都の方言だったみたいです。

気力がくじけたり弱ってしまうというような意味だと思います。


〜日常のひとこま〜

ある日の晩御飯です。笑 奥は四角豆(黄緑のフリルみたいなの)・おなす・ピーマン(緑、赤)・豚肉小間切れの炒めもの。手前は豪華納豆です。久々のおジャコ・人参葉っぱ炒め・紫蘇の上に卵を割って、食べる直前に混ぜます。納豆は20代前半までは食べなかったんですが、いつの間にか健康のために食べるようになりました。笑(野菜は「あがひ家庭菜園」笑)
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