家族からのアドバイス
Jさんから頂いたメールの一部をご紹介します。
きっと、
同じような思いやご経験をされている方が
いらっしゃると思います。
– – – – –
昨夜、こんなことを他界した家族に話しかけたのです。
「迷っていることがあるんだけど話をきいてほしいなぁ。
何かアドバイスをほしいのでお願いします。」
夢も何か見たと思うのですが覚えておらず、
今朝、食器を洗っているときに
「こうしたらいいんじゃない」
とアドバイスが聴こえたというか
思い浮かんだんです。
声が聴こえたということでなく、
頭に家族の顔と言葉が浮かんだのです。
それが本当に的確というか、
心にしっくり納得できるものだったのですが、
でもこれは自分の願望や妄想なのか、
それとも他界した家族が一生懸命教えてくれたのか
どうかわからずアガサさんにご連絡してしまいました。
きっと自分がそう思うならそうなのだと思うのですが、、、
こんな話しをお忙しいアガサさんにしてしまい、
本当に申し訳ありません。
– – – 私からのお返事 – – –
何気ない時_
家事をしてる時、洗面所など、気がほわんとしてる時に、
頭に浮かぶ方法で伝わります。
納得できるなら、
ご家族が仰りそうな内容なら、そうですよ。
それによって、
他人様になんの迷惑もかからないのですから、
喜ばれて良いと思います。
極稀にある、そうした機会だからこそ、有難みがあります。
いつもいつもでは、私たちにとって「成長」が
見込めないと思います。
ありがとうね、と あらためて
仰ってあげてください。
– – – – –
霊媒や霊能者といった人たち、
自分で霊感が強いと思い込んでいる人たちも
このように「頭の中に浮かぶ」ことが
ほとんどだと言われています。
それを、聞こえた、見えた、
と自分から言うことに 私は一種の嫌悪感さえ
感じます。
そういう「特別意識」は、アホですよ。
大切なのは、愛する人を思う深い愛。
愛する家族をしみじみ思う深い思い。
これがなければ、聞こえた見えたなどというのは
“百害あって一利なし” です。
Jさんの素直なお気持ちが嬉しくて
みなさんにご紹介しました。
アガサ
〜日常のひとこま〜
アガサさん、ご無沙汰しております。
ブログ更新のたびに、共感し、安堵しております。
アガサさんのブログに出会ってから、主人は遠いところに行ったのではなく、姿がなくても、今も変わらずに共に生きていると思えるようになりました。
それでも、声が聞きたい、温もりを感じたい、5年経っても深い悲しみの闇に落ちることがあります。
そんな時、ふと主人が包んでくれるような感覚がある時があります。
いやいや自己防衛での妄想?願望?独りよがり?
やっぱり確信、確実なものにしたくなります。ぶれずに信じることは難しい💦
今回のブログを読んで、信じる力を頂きました。
ありがとうございます😊
JJ様
表に立つこと、目立つことに興味のない私が、アガサの部分が出てきた時に、何度も何度も繰り返し、自分に問い続けてきました。
「何のために交流をするのか」ということです。
それは、証明のためでなく、人が人を思う気持ちがどれだけ深く、すでに伝わっているか、ということをいつかわかって頂ける日が来ることを願っていました。
十数年かかって、みなさんのおかげでその日がやってきたと思います。
本当の理解は、どうしても月日、年数がかかります。携帯電話やポケベルが世の中に出現し始めた頃から人は「手っ取り早く」を重要視するようになりました。便利なものは便利なのですが、すべての物事にはメリットとデメリットが必ずセットです。大切なことを置き去りにしてくるんじゃないかと思っていました。
コロナ禍になり、みんなが大変な思いをみんなが同時期に経験した。それによって、忘れていたこと、気づかなかったことが明るみに出てきました。バランスはとられるんですね。
悲しみは、悲しみだけじゃないんだということをいつか必ず気づく時が来る_それを願いながら、交流に臨んだ日々でした。
一生続けると思っていましたが、自然に歯向かうことはできません。けど、その代わり、こうして、みなさんと新たなステップへ一緒に上がた気がしています。
” みんなと一緒に 陽の当たる方へ ” 行こうじゃないの! 笑