日常に馴染むのが「直観」

あっという間に 日が経ってゆきます。

家族が 健康であることが 何よりの

しあわせなことだと 思うばかりです。

さて。

直観。

直観、インスピレーションと聞きますと

どのように思われますか?

神の声的?

啓示?

お告げ?

これらは、皆、後付け的に使われます。

マザーテレサのように、

大勢の人達のために自ら率先して、

献身的な生涯を送られた方が

「啓示を受けた」とおっしゃるのは

説得力があり、納得できます。

このような方以外の方が

言わることに対しては

否定もしないし、肯定も しません。

言うことは 誰にでもできます。

実際に 行動できるかどうか、

です。

さて。

「直観」の中には、

何か分からないけど、

何となく、そうした・・・

ということで、命拾いをした!

という方もいらっしゃるでしょう。

そうすると、

よぎることがあります。

それは_

命拾いしなかった人は

直観が働かなかったのか?

お告げやら、神様に背いたのか?

誠実で、とても良い人で、

本当に 本当に良い人で・・・

という方が

突然の事故や災害に見舞われた

ということを聞きますでしょう。

こうなってきますと、

スピリチュアル好きな人は

「カルマが・・・」

「過去世が・・・」

などという類いのことを

持ち出されてくるわけです。

私は、その解釈は無責任だと

思います。

結果が「良い」「悪い」の判断で

人生というのは決められない、

そう単純なものではないと

そう 思っています。

私たちは 誰しも

直観を、日々 受けています。

それらは 日常に馴染むものです。

だからといって

「直観!直観!直観っ!」

などと 意識しすぎるのは、

必ずしや、

心の成長や人格を歪めてしまいます。

直観や 目にみえないことや

そういった世界のことばかり考えていては

どうしても 日常や人柄が歪んできます。

それは 自然なことです。

現実に 根ざして生きていないから、

どうしても そうなってしまいます。

直感的な生き方 = 正しい

では ありません。

直観というのは、

人の道に繫がっています。

人として 善き生き方をする、

思いやりを持って生きる、

ということに 繫がっています。

そして、忘れてならないのは、

他に影響を与えることが

直観ではありません。

日常に 普通に 馴染むもの。

気持ちが 穏やかになってゆくもの。

自分も 周囲も 心地良く過ごせるもの。

そういったものが 直観の役目です。

トゲトゲしたり、

とんがったり、

選民意識や、

特別意識などには

歪んだ道が 待っています。

大袈裟に 捉える必要などありません。

すべては 自然の あるがまま。

合掌

アガサ Medium AGATHA
~天国からのメッセージをお伝えしています~

霊交信(霊界通信)公開霊視

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