畏怖畏敬の念

様々な自然現象による被害が連続すると

人は、

「 何かの兆し 」

とか何とか 様々なこと言います。

私には難しいことはわかりませんが、

方位磁石を毎日見ていますので、

微妙に変わる針を見ては、

いろいろなことを思ったりもします。

これだけ、人間が自然を壊し続けて

いるのですから、いつ何時、

何があっても「兆し」ではなく、

自然なのだと思います。

自然に対して畏怖・畏敬の気持ちを

持つのならば、言うだけでなく

実際、自分の生活スタイルを

変えていく_

現実的な行動をしていくこと。

日常生活を見直し、

行動に移していくことだと思います。

ちょっとしたことの、積み重ね。

自然現象を、人間は予測できないし

コントロールすることは、あり得ない。

専門機関にどれだけ秀才な方々が

おられようとも、です。

ここ何年か、新聞やテレビで

情報が出回る時は、もうすでに遅い_

そう思うしかないのかなと思います。

私たちに必要な情報は、

後から入ってくる、

か、

何かのニュースの陰に隠れるように

報道される感じがします。

おかしな感じがしますが、

自分自身の ” 身の危険への感覚 ”を

蘇らせることしかないだろうと

思います。

それには、

便利な生活は必要最低限に。

余分なことをし、

それに慣れていくから

心(魂)に贅肉が付き、

人間本来の感覚が鈍くなるのは

当然です。

自然の現象(自然災害)と、

身の危険は、

想定内で起きることなど

あり得ない。

想定することすら 出来ない。

なのに、国の偉い?人達や

頭脳明晰な人達の口からは

「 想定外 」とよく聞かされます。

「 想定外 」という言い訳で、

どれだけ多くの方々の尊い命が、

どれだけ多くの動物たちの尊い命が、

犠牲になっているのかは、

言うまでもありません。

畏怖畏敬の念は、

自然災害を迷信へと繋げたり、

闇雲に怖がるのではなく、

私たちが

自然(地球)の中で生きている

ということを、再確認するため

のひとつだと思うのです。

アガサ

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