姿勢

御礼を心から申し上げたいと思います。

お心を寄せてくださった皆様に

厚く御礼を申し上げたいと存じます。

ありがとうございました。

” 人は生き、そして 死ぬ。”

このシンプルで厳かな流れに

静かに 圧倒されるがまま でした。

大自然を前にしての、人ひとりの小ささを感じるような・・・

そうしたものと似たような思いです。

自分の内側に沸き上がるさまざまな感情が

しばらくは、浮かび上がっては消える・・・

この繰り返し。

父の亡骸を幸運にも目の前に出来、

自分の・・・感情自体が邪魔に思えました。

( 悲しいのは 当たり前。

 当の本人は どうか?

 とにかく、生き抜いたじゃないか。 

 あっぱれとしか言いようがない。)

” 天晴れ ”

この言葉以外に 当てはまる言葉が無いなぁと

心から思いました。

父の顔を しみじみと眺め

人生の重さを

あらためて 感じました。

” 生きるために 死ぬのだ。”

そんな言葉が 父を前にして何度か頭に流れてきました。

父の傍に居るのは 何年振りかなぁ・・・

まあ、そんなことは もうどうでもいい。

私のことは どうでもいい。

何のために 来たのか。

自分の悲しみを 言うためじゃない。

静かに横たわる父を前にし、私自身は

どういう気持ちになり、

どういう言葉をかけるのだろう・・・。

口から出た言葉は _

「 ありがとう。」

「 うち しあわせやから。ありがとう。」

これで 精一杯。

「 もっと生きれたのに・・・」とは思わない。

人生は長さではないことは、多くの対話から

あちらに行かれた人々から 教えてもらっている。

東山の火葬場でのその直前、

刑務官としてその一生を務めた父へ 

右手と肘をピンと張り、敬礼をした。

わが子が私を見ているのに気づき、子にも敬礼をさせた。

見ると、

兄も 敬礼をしていた。

家族サービスをするタイプの父ではなく、

時折見せる眼光の鋭さに 幼かった私は

恐さよりも 憧れがあったかもしれない。

特殊な職務は想像を絶するストレスがあったに違いない。

熱も冷めやらぬまま、京都へ向かい、

人と車でごった返す風景に違和感を感じ、

まるで、

外界と内省の間をふらふらしているような・・・

時間の感覚がない数日間でした。

言葉がうまく出てきませんが、

大切なことを父の他界直前から 教えられた気がします。

父と長く話せたのは、初めてだろうと思います。

その会話は、私が大切にしてきた信念より

もっと大きくて、遥かなもの。

心がとても澄みきっているのを 感じています。

姿勢を正せました。

このように姿勢を正すことが出来たのは

父のみならず、

今までご依頼くださったすべての方々の

おかげです。

出会う方々のおかげで

様々な深い悲しみ、辛さに寄り添わせてもらえ、

心が澄み渡れたのだと 思いました。

ありがとうございます。

精進してまいります。

アガサ


実家近くの有名なお寺は、多くの観光客の方々で賑わっていました。
何十年振りに訪れることが出来、変わってゆくものと変わらないものが
何とも反比例していて不思議な空間に思えました。

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