贈りもの、頂くということ。

最近、頂きものをとても有難く感じます。

口先だけではなくて、どう申しましょうか・・・

心にしみるのです。

年齢でしょうかね(笑)。

同年齢の方々よりも、人様の心の温かさを感じる機会を

多く頂いているように思います。

愛しい家族を亡くした悲しみ、辛さ、複雑な気持ちは

それはもう、言葉では言い表せないわけです。

何とかご自分の気持ちを表現しようと言葉を繋がれる

ご依頼人さんは多くおられますが、

おっしゃらなくても、時を同じくさせて頂きますと

手にとるように 伝わってきます。

それは、あちらへ行かれた方々も 同じなのです。

私たち日本人は、自分の心や感情表現が苦手です。

私は、そうしたことも美しく思えます。

言わなくても、わかる_

そんな厚かましいことは思いませんが、

真心と真心で接している限り、

そこには 嘘や偽りは 存在しません。

自己アピールなんてものは、本来必要のないものだろうと

思っています。

出来る人は、多くを語らないし、

語らずとも その実力や真心、精神は

空気から伝わってきます。

日本人には、そうしたものが備わっているでしょうし、

大切に育まれてきたものだろうと思います。

北の大地から、

とうもろこしやジャガイモ、タマネギ、

重い重いお米をわざわざ持ってきてくださったり、

何時間もかけて歩いて、梨を持ってきてくださったり、

美しい金の国から、古くからあるお茶の葉、

各地の名産やお菓子、そして、ご夫婦で美味しいと

思われているハーブティ、

天国に住んでおられるお子さんが好きなディズニーの

キャラクターの可愛いメッセージカード、

心をこめて書いてくださったお葉書、お手紙の数々。

持っていってあげよう、

食べさせてあげよう、

手紙を送ろう、

そう思ってくださる心が 年々、身にしみます。

おばあちゃんの気分です。本当に。

悲しみと共に生きておられる方々。

悲しみを背負いながらも、現実を生きようとされる方々。

そうした状態にあっても、他を思いやるお心は

尊いとしか例えようがありません。

悲しい時は誰しも、自分しか見えない_

自分だけが悲しい、不幸・・・

そう思っても仕方ない状態です。

藁をも掴む思いでのご依頼を引き受けています。

お心を真心で引き受ける仕事 と思っています。

ですから、やはり 疲れます。

どんなに努力しても 心を尽くしても、

あちらとの繋がりが薄い場合や

どなたも確認出来ない場合もございます。

適当なそれらしいことを言って繕うわけには

まいりません。

そうした時、私は、

本当に、文字通り「心苦しい」。

ご依頼人の辛さや残念さとは違った苦しさが有ります。

正直であること、誠実だけでは 何ともなりません。

無力を感じることも多々あります。

それらは 覚悟の上。

言うは易し、行い続けるは難し。です。

真心を頂くことは、大きな慰めとなります。

見える、

聞こえる、

もうそんなレベルの話では ありません。

そんな余興のような気持ちは 一切ありません。

家族の歴史は 重くて自然です。

贈りものには、そうした思いが詰まっていると

思っています。

「ありがとうございました。」

その言葉に匹敵するのかどうか、

相応しいことをしているのかどうか、

毎回毎回、自分に問う日々です。

心をのせた贈りものを 有難うございます。

家族共々、心から感謝しています。

アガサ 葉山在住
~天国の人々の思いを伝えています~
天国との対話(霊交信 / 霊界通信)

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