突然の、見知らぬ人からのメール
ご相談を頂くなかに このようなお話があります。
<頂いたメール> – – – – –
ブログ等を通して、コメントやメールを頂きます。
その内容に一喜一憂します。どう思われますか?
<補足> – – – – –
ブログを書かれている方のところに、
そのブログを読まれている方から、あるいは、
その方のご事情をある程度ご存知の方から、
突然、
「 あなたのご家族からメッセージがありました。」
などというようなことを言われる_
ということです。
言われる側としては、もちろん、動揺しますよね。
キツいことです。
<ご返信> – – – – –
冷静に判断するならば、
その連絡くださった(書かれた)内容が、
” すでに、ブログで書かれている内容かどうか?”
” 相手の方にお話になった内容かどうか?” です。
ブログにも書いていない、何も話していないこと、かつ、
ご本人にだけわかることが書かれている、言われるのならば、
伝えの可能性は高いだろうと思えます。
私が判断する時のもうひとつに、
” 必要なことかどうか?”
” 緊急を要することかどうか?”
です。
こうしたことは、とても微妙なことです。
聞かされる側、言われる側も、
ご自分の判断を鈍らせてはなりません。
” 嬉しいけど、突然、なんだろう・・・どうして?”
って思うと思います。
その感性を大事にされたらいいと思います。
例えば、
私がどなたかのブログを読んでいたとします。
そして、
その方のご家族を夢で見たり、声を聞いたり、存在を感じたりと
そういうことが起こったとします。
私なら、ご本人に、それを申し上げません。
伝えません。
こういうことについては、
まず 自分を疑わねばなりません。
” 声 ” や ” 気持ち ” が届いたのではなく、
自分の関心事が夢に出てしまった・・・
夢に出るほど、興味を持ってしまっているのではないか?
ということです。
文章を読んでいることで意識していなくても、
繰返し読むことで、それは脳に刻み込まれます。
無意識の下で。
別の面からも考えますと、
イタヅラをする存在(思念というか思い)は確かに在ります。
それが愛しい人をご家族を模倣する可能性も、大いにあります。
こうした ” 危険 ” も常に考えねばなりません。
” 伝わったから、伝える。”
こんな失礼なことはありません。
そこにあるのは「自分の欲」です。
そこには「相手の気持ち」が不在です。無視されています。
伝えることで相手の方がどう思われるか、
どうお感じになるか、です。
悲しみと辛さを経験なさった方々の動揺は、
想像を越えるものです。
目にみえないことを伝える、言うというのは、
言葉を発した後の「 影響 」を考えて、普通です。
相手の気持ちを想像して行動して、普通です。
それが相手に対する礼儀であり、本物の思いやり。
念押し、しますよ。
” 伝わったから、伝える。”
これには、危険が伴います。
” 頼まれていないことをして、感謝される。”
家のお手伝いをして、喜ばれることはとても嬉しいです。
誰でも、
感謝されれば、良い気分になります。
ただし、
目にみえないことに関しては、微妙で繊細です。
この場合、人間というのは「 欲 」が出て来ます。
そうして、
世間一般に多くおられる、
言いっぱなし、あるいは、
誰に対してもあてはまるようなことを
あちらからの伝言として伝える霊能者や霊媒や何とか、
自分には霊感があるとひそかに思っていたものが、
より強い願望へと豹変して育っていきます。
発端は全く普通であり、悪気は無いのでしょうが、
こうしたことに興味を持ち出しますと、
今迄の自分が感じなかった、自分の中にある欲が膨らみます。
自分のそうした感情を常に抑制し続ける理性を
育み続けることの方に関心を持たれた方が善いです。
人に害を与えずに済みます。
興味をもち、
憧れに変わり、
欲のままに行かれる方々は後を絶ちません。
それは、きっと、
人間誰しも持っている「 特別意識(憧れも含みます)」
をくすぐられるからだろうと思います。
私にも、そのようなメールやコメントが届いたりしますが、
頂いた文章を冷静にみつめて、その判断をつけます。
少しでもそっち系のニオイがした時には、
感謝を込めて、お返事はしないようにしています。
リアクションをすることで、
相手の方が間違った方向に行かれる可能性があります。
これは、感謝をしないこととは違います。
” 何を勇気となすか “
” 何を真実と見なすか “
自分の感情との見つめ合いのように思います。
私も日々、自分の感情と向き合い、
ご依頼を引き受けた時には、自分ではない方々の感情を取り込み、
日々、、、こういってはいけませんが、葛藤と闘いです。
責任があるから、です。
ブログを書きますと、様々なことがあります。
不特定多数の人々の目に触れるというのは、
嬉しいことや素晴しいご縁がある反面、
さまざまな発言や感情が届きます。
交流というのは、
「 ご家族の思い ≠ ご家族からの”言葉”がある 」です。
言葉や伝言がないことは、寂しいこと、見守ってくれてない、
忘れられている・・・そういうことにはなりません。
言葉にならない思いがあることを、ご存知と思います。
そのような意味です。
深い思いというのは、長ったらしい文章ではありません。
心揺れる時もあるでしょう。
悲しい時もあるでしょう。
けれども、
心をしっかり持つこと。
いろんなことを言ってくる人達は、世の中に多くいます。
何を自分に取り入れるか、です。
言葉数が過ぎました。(笑)
あちらからの思いや言葉は、とてもシンプルです。
愛にあふれた言葉は、多くの単語では綴られません。
本当に、とてもシンプルです。
– – – – –
あなたの心が穏やかになれば、と思います。
そして。
伝える、ということは想像を絶する責任と重圧が
伝え手に ” 四六時中 ” のしかかります。
それに耐えられない、耐えたくないから、
自分本位になってゆかれるのです。
” 伝えられたから 言う。”
これは、その内容と後の影響を考えて言わねばなりません。
好き放題言う今の時代は、
どれだけ人の心を傷つけているかは、
昨今のニュースで うんざりするほどですね。
発した言葉には、責任があり、
発する言葉には、人柄が醸し出されます。
口にする言葉は、気をつけねば。
真の思いやりを携えたいものです。
アガサ 葉山在住
天国との対話 愛しい家族との時間
~天国の人々の思いを伝えています~
アガサさんこんばんは!
残暑見舞いへのお返事をわざわざメールで頂いて、ありがとうございました。
blogへのコメントなら返事があってもなくてもどちらでもいいし、アガサさんの
負担にならないように…といつも思って入力しているのですが、わざわざ
メールアドレスを探したり、本名を付け加えたりとお手間をかけさせてしまって
すみません。いつも大事に読ませて頂いています。ありがとうございます。
この記事の中で気になるところがありました。
実は、アガサさんに依頼する前、(自称?)霊感があるという従姉妹に「信頼できそうな
霊能者をやっと見つけた!セッションを受けようと思う」と報告したところ、
しばらくして「お母さんが、信じないで!って言ってるよ!」と伝えてきたのです。
その従姉妹自身の私に霊能者との接触をやめさせたい気持ちが強くて
そういう言葉を伝えてきたのか、アガサさんの記事の中でおっしゃるように
悪いナニカが介在(本当にそんなことあるのですねぇ!)していたのか、
それが本物の母親からの伝言だったのか。
今となっては、分かりませんけれど。
「伝える」ことは難しいですね、と私も思いました。
従姉妹は良かれと思って伝えてきた。それでも私は少なからずショックを受けた。
依頼のメールをするのに大変勇気が要りました。
(私への心配ゆえに出てきた言葉だろうと解釈して、今は気にしていません)
”伝えられたから言う。”
私は視えないものたちと会話が出来ませんから、肉体あるものを対象にして考えますが、
”伝えられたから言う。”それじゃあいけませんね。
いったん立ち止まって、相手がどう思うのか想いを巡らせることの出来る人間に
なりたいと思いました。
新たな気付きをありがとうございます。
では、また。(お返事は大丈夫ですヨ!)