空気の流れに沿って 〜 お盆明けより 〜 追記:8/17
空気の流れやそこに含まれるものというのは、実に不思議です。
不思議に思いながらも、数日、数週間、数ヶ月経ちますと
空気に察知した流れや含まれるものの確かさに驚きます。
何が起ころうとも不思議でないこの世ですから、
年齢と共に静観できるようになりつつあるとはいえ、
その流れや変化に応じるには、思案と勇気が必要。
日常を生きるなかで、偶然のことのように起こること_
それらを特別に意識することなく、自分なりに、その時なりに、
過ごしていく。
そして、ある日、突然、「 ああ、そうか 」と気づきます。
気づいてしまうと、今までのようでは居づらく思えます。
それは、まるで、服のサイズが合わなくなったかのように。
とは言え、
” 本当にそうなのか・・・” とも思います。
思案しながらの日常を送り、自分が独りになれる時間を重ね、
少しずつ、頭の中が整理整頓されていきます。
頭の整理がつきはじめると、心の中にある”決断の扉”の取っ手に
手をかけることが出来るのです。
自分には確固たる意志と信念があり、こんな自分に
信頼を寄せてくださる方々が、いつも胸にあります。
中途半端、道半ばでも、自分を優先できることであれば、
迷うことなく、私は気楽な方を選びます。
自分以外の人が関わっている限り、自分を優先しないことを
選ぶ方が自然に思えます。
過去、家庭事情のために辞めることも何度か よぎりました。
自分は影の存在だから、辞めたところで
星の数程おられる霊媒がくりひろげる通信や霊視というものに
何の影響もありません。
これは、自虐でも卑下でもありません。
どのような仕事(作業)も、その人でなければ出来ないというのは
ないと思います。 そのうち、まわっていきます。
だけど、信頼は違うと思うのです。
信頼は、人と人としての繋がり。
一度頂戴したならば最後の最期まで、その方の信頼に尽くしたいと
思います。
期待に応える程の能力はありませんが、尽くすことは出来ます。
それが私の願いであり、信念です。
自分が信頼を寄せたからには、何があろうとも一途に
信頼を心に持っていたいと思います。
交流に重きを置き、静かに内で燃やし続けるように臨み、
お伝えさせて頂くなかで、
必要で大切だと思えるものが芽生え、静かに育まれていきました。
” 交流はまるで、花火のようだ ” といつでしたか、拙ブログでも
述べさせて頂きました。
ご存知のように、日常は、花火的ではありません。
( 日常的ではないから、花火は美しいのだと思います。)
交流を伝え終わる度、頂いたメールにお返事を出す度に、
あっけらかんと平然と割り切ることが、
どうしても出来難い自分がおりました。
お盆明けには、ウェブサイトにも、わかりやすく表示が出来るように
致します。
すべては、空気の流れに素直に応じようと思います。
【追記】8/17
ウェブサイトの内容を整理しました。
もしよろしければ、ご覧ください。
アガサ