後から分かる

交流中、伝えられたことが即座に分かると感激します。
伝えられたことがすぐに分からないと様々な思いがご依頼人さんに巡るのは自然です。
即座に判らなくても大丈夫。依頼側にとって必要なことである場合が多いのです。



先月、Aさんから頂いたメールをお読みください。
※掲載の承諾を頂いています。

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私は先日、アガサさんとのこれまでの交流の音声を最初から再生して聴き直すという作業をしました。
そして気づいたことがあります。

話の内容は当然アガサさんは覚えていないことは把握しておりますので少し説明をしますと(かなり省略形)、

アガサ(以下、ア):体調、健康面を気にかけてやってくれと言っているようです
私:なるほど、思い当たることはあるがこれまで病院では「何ともない」と言われてきた
ア:その「何ともない」をそうなんだと思うだけではなく、他の病院の診察を受けてみるのが良い。感じ取れる雰囲気としては深刻さは感じないのだが、今までの「何でもない」を繰り返して終えるというより、違う病院などに行くのが良い。(かなり文章簡略)

というやりとりがあり、そののちに私は違う病院に行きました。
すると、診断が初めてついたのです。

微小血管狭心症といって女性特有のものだそうでホルモンの変化から、心臓の微小な血管でおこす狭心症。
致死性はないものの放っておくと本物の狭心症になるので、飲み薬で抑えればよい。
この微小血管はCTやエコーには映らない微小な血管なので、確かに症状や苦痛はあるのに検査をいくらやっても「何ともない」と言われ続け悩む女性が多く、また、男性医師が多い現状の中で「そんなものはない」とされがちで、まだまだ知らない医師も多いとのことでした。
(割愛)
私は微小血管狭心症の第一人者の医師のもとを訪ねました。

交流で教えてもらったことが符合しました。
診断を聞けて、問題が明確になり、けれども深刻な事態ということではなく、診断がつかずいつまでも不安に迷い続けることもなくはっきりしました。

あらためて、その時もしピンとこなくてもああそういえば!と合点がいくということを体感し、あの交流の向こうには私の会いたい人が確かにいたのだな、と思いました。

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後から分かるというのは、即座に分かることとは違う煌めきを持っています。
依頼された側が、即座にわからないことをどう受け止めるか、です。
私の場合、即座にわからないことは詮索しません。

なぜか?
どんだけ考えてもわからないから、です。

例えるなら・・・夢占い。
シンボル的なことは太古の昔からあるみたいですが、結局、シンボリックな夢を見た本人がどう思うか?です。
そもそもシンボル的に自己分析するよりも、今の自分の気持ちをわかってやる方がシンプルです。
占いを否定しませんが、煙を巻くようなことで腑に落ちるか納得するのかと考えれば、無理な話です。
他界された大事な人、大事なご家族は、あなたを煙に巻くようなことなどされませんので、安心なさってください。

ほら、ご経験なさってると思います。 こういうの↓
「 ねぇ、アレ 取って。」
「 ほい。」
「 違うって。アレやん、アレ。」
「 ああ、アレか。」
「 これこれ。これのこと。」笑

全く具体的ではありませんが、それだけにビンゴだと「そう!それ!さすが!」となります。
アレで通じるのは、スゴイことです。
長年の日常があるからこそで、後から分かることは、しみじみいたします。



秋晴れが続いていますね。
マスク、手洗いなどは続けて、外出できる方はマナーやエチケットを心に持って、秋を楽しんでください。
私も、私なりに、自宅で、りんご散歩で、秋の空気を楽しもうと思います。



りんご散歩中に見つけました。群生していました花です。クロッカスみたいな・・・でも違うだろうなぁ〜(笑)
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