心の声を聴く

晩秋の寒さが出てきました。
晩秋と書くと、聞こえは良いですが
実際は、寒さ対策のことで頭がいっぱいです。笑

地元の方々の服装は、毎年、素早く「冬用」。
実に見事です。
今年は、ちょっとずつ準備を重ねて 間に合いました。

皆様から頂くメールは、お一人お一人から
つぶやきを伺うようにじっくり拝読しています。
一通一通、何度も読み返して読んでいます。

ある方へのメールにお返事を書きました。
加筆をして、記させて頂きます。



身体の声を聞く、心の声を聞く、というのは、
簡単なようでなかなかそうはいきません。

苦い、辛い、う・・・ん困ったなぁ
という経験をした上で、あーでもない、こーでもない、
自分はどう思っているんだろう、
自分の考えの核になってるのはなんやろう_
一つ一つ積み重ねないことには、
自分自身の声を聞くことは、なかなかです。

他人様の手を借りることも、大事。
もっと大事なのは、
自分が大切にしたいことを、見つけてやること。

周りが皆、
世の中の流れがそうだからといって、
その方法があたかも正しいかのよう(常識)に
自分も思ってしまうのでは、結局のところ
何がなんだかわからなくなってきます。

常識というのは、時代の流れと共に変化するので
普遍ではありませんね。

心が教えてくれることがスッと心にしみる時、
懐かしさを感じます。
あぁ、そうやったなぁ〜って思えるんですね、これが。笑
それが、自分を知る、ということだと私は思っています。
発見でもあり、懐かしくもあり、です。

自分を知ることは、そんな簡単なものではありません。
あっという間に出来るもんでもない。
どこぞのスピ系や啓発系の講座にお金払って参加したって、
気のせいです。大笑
メッキ。笑
すぐに剥がれ落ちて、自分の本当の部分を嫌がり、
「こんなのは自分じゃない!」 などと思うのです。

自分で自分がわけ分からないようになって、
また、講座を受けて・・・と繰り返す。笑

メッキは、経年劣化、剥がれます。
剥がれたら、地の部分が出てきますから
塗り直さないと見窄らしいって思うんでしょうな。笑
本当の自分を粗末にしていることに気づかない。

人間は、
自分を見窄らしいと思うからこそ、
手取り早いメッキに憧れるのです。

肩書き、権力、特権、財力とやらで
分厚いメッキを人間は塗りたくなる。笑

それさえあれば、
メッキさえあれば、
塗りたくっていれば、
自己満足を満たせ、
これが自分だとようやく思えるからです。

そういう物に憧れる者もいれば、
生まれて当たり前のようにある者もいる。
いづれにしても 一度味わうと、抜け出せないもんです。

「自分の望みを叶える」ことが、心の声ではないと
心は言います。
心の声を聞ける、聞けない、聞かないは、人それぞれ。

自分と心が一致した時、
心軽やかになり、
ボロを着たとしても正々堂々と素晴らしい空気を纏えるのです。



Fさんは、母上の老化を機に、
ご自分の心の声を聞かれたのだとメールから思えました。



午後2時も過ぎれば、冷え込んできます。
暖かくして、お過ごしください。
お互いに身体を大事にし、
いつか、お会いできますように。



アガサ



食欲の秋。犬娘りんごは、パンが大好き。食べることが大好き。ワンコは欲しくても勝手に食べると叱られますから、じぃーーーっと見つめて、しばらーくしたらヨダレがボトンボトンと洪水です。「今日は絶対にあげへんで!」と毎日言い、結局「ちょっとだけやで。」と根負けしてあげる始末。まぁ〜、可愛いんですよ、動物家族は。笑
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