さまざまな自分

ひとりひとり、性格が違います。

育ってきた環境、
大人になってからの生活環境、
性格というのは、外的環境から影響をかなり受けます。

泣くこともこうした影響を受けています。
すぐに泣く人っています。
逆に、泣けない人もおられます。
第三者が想像しても非常に悲しく、辛い状況であるに、泣かない方。
涙が流れない、と書いた方がより近いかもしれません。

心療内科やセラピーなど行くと、決まって言われるのが
“悲しい時に泣けていないから” とか、何とか。
こういうことは、一般論や標準に当てはめることでは無いのです。

なぜか?
ひとりひとり、違うからです。
誰もが知っていること。
表現の仕方やタイミングも違います。

泣くタイミングだから、泣く。
泣くタイミングなのに、泣けない。
標準に当てはめることでは無いのです。

そして、
無理矢理 原因をそこに繋げる必要もない。

自然で良いじゃないですか。
ひとりひとり、違うんです。
生きてきた環境も、
今の生活環境も。

人生いろいろです。
生活するので精一杯で、
自分の悲しみとじっくり向き合うことも出来ない状況って
多いにあります。

泣きたい時に、
涙が出てくる時に、泣いたらいいと思います。


10年経とうが、30年経とうが、
他界間際であろうが、です。
無理に泣く必要はない、ということ。

世の中、色々あったって、
結局は「自分がどう生きたいのか」だと思うのです。

年を重ねるほど、解放されることもありますが、
色々な縛りが出てきます。
だけど、それは自分だけじゃない。
やっぱり、庶民は大変ですよ。
大変だけど、自分だけで解決する必要もないと思います。



生きること、
死を迎えること、
この両方を生活から切り離さないこと。
忌み嫌うものではなくて、身近な摂理だから。
とても大切なもの。

健康が当たり前なんかじゃない。
長生きが幸せじゃないのです。

物質はいつか必ず劣化し、朽ち果てます。
内面(心、気持ちなど)は、その逆。
素朴にさせてやった方が気楽です。

人の感情というのは、いろんな面があります。
ひとりに対して、一つだけの性格・・・なわけがない。
さまざまな人格が織り混ざっての、自分です。
いろんな自分がいて、自然。

自分をおおらかに見守ってあげてほしいと思います。




アガサ

りんご散歩道にある南天。随分、赤くなってきました!長野市内もようやく、紅葉がくっきりしてきました。秋の入り口の頃は突如寒くなってビビったのですが、それ以降は去年よりも何だか暖かいような気がしています。光熱費も値上がりしますから、服装を工夫して暖かく過ごそうと思っています。
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