結局のところ

1/23加筆【お詫び】:
昨日書きましたこの文章につきまして、
誤解をまねくような文章がありました。
文章の書き方が拙い、ということに他なりません。
心からお詫び申し上げます。
勘違いが起こらないよう、 具体的でありつつも、
個人特定出来ないように配慮し、
加筆させていただきます。
※拍手ボタンを押して下さった方々にも改めてお詫び申し上げます。



ある方から頂いたメールには葛藤がストレスに

なっておられるのがよくわかる内容でした。

願いつつ、心を一緒に見つめていきたいと思います。


●旧友が突然気になる

きっと誰にでもあることだと思います。

若い頃、旧友から言われた一言がその後の自分の人生を

変えるキッカケになることも多いにあります。

「御礼を言いたいけれど、連絡のつけようがない・・・」

この場合はどうしても御礼を言いたくて悶々と

するかもしれません。

それを周囲の方々に何度も仰ると、周囲の方々も

聞き飽きて来られるのも当然のことのように思います。


連絡が取れなくなる、というのは誰もがあります。

別の方法として、御礼のお手紙を書いてみるというのは

どうでしょうか?

もちろん、郵送出来ませんけれど。

御礼を文章にしたためることで、ある程度、

自分の気持ちが落ち着いてくると思います。

以前、出張の前日に駅前で車がぶつかってきた事が

ありました。

その時、居合わせた方々お二人は、車の運転者さんと

やりとりまでしてくださったのです。

会社に電話をされ、会議か営業先に理由を話されて

まで、です。

駅前はてんやわんやでした。

見ず知らずのお二人に助けて頂いた私は、後日、

警察に御礼のお手紙を渡しに行きました。

けれども、個人情報ということで受け取ってはもらえません。

一言、あらためて御礼を言いたい気持ちでいっぱい

でしたが、仕方ありません。

御礼の手紙はその後、何年も持っていました。

伝えれないけれど、毎日、御礼を心の中で呟いていました。

しばらくして、そのお手紙は捨てました。


直接、御礼を言えなくても、何らかの形で伝わるというか

そのお二人の人柄は素晴らしいのに違いはないんだと

そっちにシフトしたのです。

自分の感情(御礼を言いたい!)よりも、

相手の方の素晴らしさに感謝することの方が

良いように思えてきたのです。


結局のところ、何が大事か?

ということだろうと思います。

自分の感情が優先か、

それとも、

相手の素晴らしさに感謝することなのか、です。



●田舎暮らし

都会から、あるいは、海外経験が豊富な日常から

日本の田舎暮らしにシフトする_

とても良いことだと思います。

最初は、おそらく、物珍しいことばかりで

新鮮だと思います。(経験者は語る。笑)

住んでいくうちに、慣れてきます。

慣れてくると、粗っていうのでしょうか。

そういうものが見えてきます。

それが、土地であれ、人であれ、慣れてくると

誰もがそうなってきます。

田舎の良さがあり、田舎ならではの仕来りがあります。

都会の良さがあり、都会らしいアッサリ感があります。

良い面とそうでない面は、どこにでもあることです。

田舎だから、警戒心が強いというのはあるかもしれませんが

悪いことではないと思うのです。

テリトリー意識というのは動物なら誰にでもあること、

ですよね?多分。

そこを決めつけずに、良さとして別の方向を

見いだせればスゴいと思います。

Yさんはキャリアもあり、人生経験も豊富です。

そこを曇らせることなく、心に垣根を作らずに

Yさんらしく寛大な空気で乗り越えて頂きたい

と思います。



●褒めてほしい気持ち

人は誰しも、自分を特別だと思われたい。

と思います。

表立った特別意識や選民意識がなくとも、

私たちの奥深くに眠っていると思います。

誰にでも。

褒めてほしい、認められたいという感情は、

ストレスが増幅している状態に大きく膨らみます。

自分の言動行動が加速している時、

自分のことを一番見えていないのは自分。

ただ、子どもの頃に褒められたい気持ちは、

成長に必要なことです。

だけど、いつもいつもでは、悪影響を及ぼします。

褒められる=認められる

褒められない=認められない

というのがインプットされてしまうからです。

自分の価値を他に託してしまうようになります。

10代以降は、本人がしんどくなります。

そうなると、しんどいと思います。

大人になると、簡単には褒められなくなる、

年齢を重ねれば重ねるほど、褒められなくなります。

更年期を迎えれば(苦笑)、ホルモンバランスにより

感情の起伏に追い討ちをかけられる!

で、

結局のところ、

褒められるというのは、何だ?ということです。

人から褒められることが

自分の価値に直結するわけではないし、

正しいことでもないと思います。




私の経験を振り返って思うのですが、

誰しも、葛藤やストレスを抱えています。

どのような問題も悩みも、

悩むだけ悩んでみても良いと思います。

そうすることで、自分の内のいろんなことに気づき、

自分なりの方向性(心づもり)が定まってきます。



自分の心の周囲にある、

分厚い欲のドロドロしたものが少しは

剥がれていきます。

しんどい、辛い、悲しい思いを

心底しないと剥がれません。

ドロドロ溜まってきたなと思ったら、自分の場合は

掃除をしたくなります。(笑)

少しでも剥がしたのなら、もう同じことをしないこと。

と、自分に言い聞かせながら。

問題にぶち当たった時、いつも思うのですが、

「結局のところ、自分は何がしたいの?

 本音なのか、建前なのか、どっち?」

って自問するんです。


自分が悩んでいること、その方面のことを考えます。

悩みの原因になっている自分の感情を見つめます。

何が嫌だと思うのか?

どういうのが気に入らないのか?

どうして欲しいのか?

そうなるのに現実どう行動しないといけないのか?

こういうことを次々に考えていくのです。

そうするといかに自分が持ってしまっているこだわりが

多いかと気づきます。

そのせいで、身動きが取れなくなって、

ストレスを自分でかけてしまっているのです。

別の角度から考えてみるのも、ひとつ。

何一つ、自分には無いと考えてみる。

それでも、

「なかなかそうは簡単に思えないなぁ〜・・・」

ってことだったら、

一時的に解決しても、

また別の問題で、別の時期に

そうした悩みが繰り返します。

ちょっと自分を離れてみると、

条件で物事を判断しているんだなぁ・・・

と明確になり、そんな自分に飽き飽きします。

で、自分に言います、

「自分でしんどくなって、世話ないわぁ〜!」

と大笑いするのです。

それで、ちょっと楽になれるような感じもします。



結局のところ、

自分を単なる「人」だとシンプルに思えるかどうか。



毎年クリスマスイブに観る、

クリスマスキャロル(スクルージ)を思い出します。

他界した後に気づく、うつつ界でのこだわり。

偏見やさまざまな感情が鎖のように自分を巻き付け

ているあのシーンを。

何が、大事だと思えているか?

何を大切にしたいと思っているのか?

その大義は、本当の大義なんだろうか?



今、居る自分を、

目に入る人たちを

野生で生きている動物達を

等しく大事な存在だと思えるのか?ということ。

大袈裟に言えばそうです。

現実の話なんですけどね。笑



結局のところ、

そこだと思うのです。



迷った時、悩んでいる時、

何が何だかわからなくなります。

本質などもわからなくなるかもしれない。

こういう時には瞑想!

とフラッ〜と思ったりもするかもですが、

そういう時には、自分は瞑想しません。

拭き掃除。笑

たくさんしなくてもOKなので、

とにかく、拭く。磨く。

そうすると、気持ちもスッキリしてきます。

確実に、埃があった床は美しく、

磨かれた鏡はピッカピカ。



迷いや葛藤の渦中にある場合、

心の声の聞き方がわからない、

心の眼ってどういうことなのかわからない、

は当然です。

瞑想したって、おそらく、???です。

気持ちの落ち着き度もイマイチ。

それよりも、気分転換をした方がいいと思います。

散歩ができるなら、散歩。

外に出なくても、拭き掃除や鏡の表面をさっと拭く。

これで随分違ってきます。



我欲と言うのは、水垢のよう。

気をつけてても、あっという間に付着!

心の周りにドロドロしたもんが付着するのです。

この肉体を持って生きているうちは仕方がないです。

どのような職業であっても、人は人ですから。



「結局のところ、どうなの?」

ということを自問するのは大切だと思います。

お上の言ってくること、通達してくることが

正しいなんて、どこの国にもありませんから!(大笑)



まぁ〜、なんて言いますか、

健康な状態ってだけでも

素晴らしいと私は思うんですよ。

そのことを忘れないであげてください。

みんな、無事でありますように。



アガサ

りんご散歩の途中、ふと、目に留まった模様。左側はハート、右側は「ひみつのアッコちゃん」に似てる! と大ウケの私。家に戻ってから、「なぁー!右の、ひみつのアッコちゃんに似てるよね!」と言いますと、「ひみつのアッコちゃんって?」と言うじゃないですか! 「これよ、これ!」と言いながら、台所収納引き出しからサッと取り出したお弁当箱。私が幼稚園の時のお弁当箱です。家族は「知らない」とほざくじゃないですか。まぁ〜、ええわ。それにしてもこの弁当箱、50年も持ってる!!その方がすごいやん!!! あはは
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4件のコメント

  • アガサさん、お元気ですか。
    秘密のあっこちゃんに、見えます間違いないです^_^

    • マリコ様
      コメント有難うございます!
      アッコちゃんに見えますか?! 嬉しいです! それにしても、自然が作り出す形や色は本当に素晴らしいですよね。自然美は最高です。

  • アガサ 様

    先日は丁寧なご説明、有難うございました。

    葛藤とストレス

    まさしくその通りです。今、新しいことをしたいと思っている、でもコロナでできないと、何でもかんでも他の要因にすり替えてしまっておりました。

    これまでどんな状況であっても、自分の進む道を歩んできたはずなのに。いつの間にか、安定志向になっていて 大人しくしていればこのまま安定がつっくと、自分のエゴが見え隠れいたします。
    伝えたいことを伝える、伝え方を工夫する、などして前に進んでいかなければ、何も解決しませんね。

    • Y様
      実名表示を避けさせて頂きました。YY様とさせて頂きました。
      コメントを頂き、おそれいります。
      皆誰も、似たり寄ったりだと思っています。安定は良いですねぇ。私も安定を望んで生きてきましたが、なかなか、得れないようです。ぼちぼちこのへんでと思いますが、まあ、仕方ないのでしょうか。ないものねだりでしょうか。笑 どのようなこともやはり、多面性(二面性)があると思えます。安定するとマンネリに思えたり、不服感が出たり、何かイベントが欲しくなったりするのでしょうね?と思います。 Yさん、どうぞ、焦らず、Yさんらしくおおらかに過ごされますことを願っています。

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