無理して笑う?

先日、頂いたメールから書かせて頂きます。

– – – – –
●頂いた内容
私にとってはまだ◯年ですけど、はたから見たらもう◯年で、
「いつまで悲しんでるんだ」と思われるし、
大好きな彼も私のこんな姿を見たくないから、
空元気でもいいから、笑って楽しく過ごしてくれって思うのでしょうか。

いつまでもとどまって悲しんでは故人にとっては迷惑なのでしょうか?
分からなくなりました。
人に会うときは、もちろん何もなかったように元気に振舞いますが
家に着くと、かなり疲れます。
本当の心は悲しい気持ちでいっぱいだからです。

私は彼のために作り笑いでもいいから、
寂しさと辛さを感じて欲しくないと望んでいるんでしょうか?

– – – – –

死別のブログ、SNSをご覧になると
このように思ってしまいます。

なぜか?
比べてしまうから。
多数意見 = 正しい
と思えてしまうからです。
優しい人ほど、そう思えてしまうと思います。

Mさんから頂いたメール文には、
SNSで意気投合されている方々の様子もお知らせくださいました。
・他界した人は、愛しい人の「肩」に乗って見守る
・そして、いつかは、守護霊になる
だそうです。

●Mさんへの私からの返信+加筆
ものすごく 「日本古来的」な考えだと思いました。
“肩に乗る”って・・・
読んで、目が点になりました。
多分、よその国の霊媒は笑うと思います。

この方々の考えに同調するなら、”無理に笑う姿”はオッケーなのか?
愛する人、愛する家族がオッケーって思うんですかね。
「そうそう、その調子!」って。

自然と、疑問が発生します。
愛情って、そんな綺麗事ではないと思うんですよ。

例えばですよ、
酷いこと(虐待とかイジメとか殺人等の犯罪)した人が亡くなったとする。
親にとっては、良い子だとする。
被害者にとっては、どう?
被害者のご家族にとっては、どうなんでしょうか?
被害者の方は一生辛い思いを抱えることになるし、
命を奪われた人にとっては、どうですか?

こういう場合、その方々はどうお考えになるのでしょうか。
伝えた霊媒は、どう仰るんでしょうね。
多方面に疑問が残ります、私には。

おそらく、
聞き手や読み手が、疑問や不安を感じるのは、
発信者(投稿者や霊能者や霊媒)の考えが混ざってるから。
だから、
納得できない、腑に落ちない、不安に思う、疑問に思うのです。
そう思うのは自然です。

肉眼で見えないとされていることを伝える人のほとんどは
自分を疑わないんです。
おかしなことに。

と、いうことはどういうことか
大体お察しになると思います。
まーーーー、そういうことですよね。

悪気があってという人も中にはいると思いますが、
多分、必至なんだと思います。
自分は特別なんだと思い込みたい意識がそうさせるんです。

不安や疑問を感じさせられるのは、なぜか?
それは、伝え手が子ども頃からの経験が無い(少ない)からです。
だから、伝え手自身の考えが混ざってくるのです。

実際は、そんな生やさしいもんではないのです。
子供の自分が見えてるものを自分の頭がおかしいんだ、
というように自分を疑っておかないと日常を保てない_
そんな年月を重ねて生きてきますと、
多くの方々がSNSによる内容で心砕ける原因になった内容は
“綺麗事(上っ面)”としか思えないのです。
こういう時はどうなるの?
これは?
あれは?
と尋ねていきますと、したり顔だったのが、形相変わり
きっと、怒り顔になってくると思うんです。苦笑
何でかと言いますと、伝え手は自分の言うことだけを
聞けばいいという心理が働くからです。

特別でありたい欲の表れでも、あります。
けれども、
ご自身なりに真剣に仰ってるんだと思います。
この部分は「ま〜そうだろうねぇ」と思ってあげてください。

違うと思っていても、”人それぞれ考えがあるからねぇ”
ということです。

心がスッキリ、ストンと腑に落ちるなら、それで良いし、
不安や疑問が残るようであれば、それは「違う」ということです。

私の場合は、50年もの長年の経験と性格もあって、
自然と湧いてくる疑問が発露したら、一切信じないです。
相手が誰であろうと。苦笑

ほっといたらええ、と思います。
この考えは、この人の考えだからなぁ〜程度で。

本当に大事なこと、
言葉では言い表せない大切な思い、
大切な人、大切な家族、大切な動物家族のことは
自分の内で大事に大切に愛溢れて育むだけ。

大事な心に関係することは、
多数意見に惑わされる必要、無い。
群れる必要なんて、微塵も無いんです。

無理して笑う時もありますよ。日常では。
顔で笑って、心で泣いて。
あります。
たくさん、あります。
立派ですやん、それって。
私は、立派だと言い切れます。

56年目の人生、そういうことの方が多かったかもしれませんが
だからといって、自分を可哀想だとか、蔑ろにはしたくないんです。
自分の素心を無視することは、生きることを無視してるのと同じ。

悲しい気持ちの、どこが悪いんじゃ! 
ぐらいに思ってます。笑
なんで、ええ顔せんとあかんのですか?
人生、飾ってどーするの? って思う。

生きること、死すること、これほど重要なことは他にありません。
他と同調するよりも、愛する人と自分の心を大切にする方が
大きな意味があります。
心を無視したり、粗末に扱ったらあきません。
愛する者同士だからこそ、分かり合えるんと違うんかなぁ・・・
しゃーないなぁ〜とわかってあげたいって思いますやん。

私が ポックリ突然、本質界に移動してしまったら、
おそらく、
家族達は泣くこともあると思います。(多分)
いつまでも泣いたとしても(特に子が)、
それに対して、どうこうは言わない。思わないです。

だって、
ひとりの感情であり、ひとりの人生だから。
その上、誰でもない、私の命以上に大切な家族だから
尊重して、自然です。
感情が伴うことに関して、迷惑だなんて思うんかな? と思います。

大事なことに関して、多数意見を「正しい(優先)」と思ったら危険です。
群れから離れて、ひっそりと考えたら、違和感沸きますよ、きっと。
周囲がどう言おうと、自分の心が「ちょっと違うよね」と発信するなら
耳を傾けてやりたい。
大事な人、大事な家族を愛するのは尊くて立派なんです。

ま〜、頑固ババアの意見としてお読み頂ければと思います。笑



アガサ


3月11日を人として忘れるはずもない。
物質的な復興は進んでも、
心の復興は そう簡単なことじゃない。
国や大会社の偉いさん達は、身銭を切らないし、頭下げるか退職するかしたら、終わりと思ってるんかもしれない。
今もこうして、現場に残ることを使命として働き続けてる人達はたくさんおられる。
そうした人達の全てに頭を深々と下げます。
ただ、自然界が悪いのとは違う、ということはひっそり申し上げたいです。
黙祷




だいぶ、暖かくなり、スズメさん達のふっくら具合も減ってきました。でも、長野は4月も雪降ったりするので油断大敵!
+46

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