不登校のどこが悪いのか

長い連休を終えた今日、大人も子も「行きづらい」ので自然。笑

そこで、アおばちゃんが思うことをつらつらと申します。

個人的な考えと経験に寄るものです。笑



さて。

タイトル通り、

不登校のどこが悪いのか?

です。



コロナ禍を世界中が経験してしまった今、

私たち大人は、何に当てはめて生きてきたんだろうと

思うのです。



学校に行くことが当たり前。

当たり前のことが出来ないのは

「ずぼら」とか

「たるんでる」とか

「甘えてる」とか

正直、こういうふうに思う大人は多いと思います。



「当たり前」って何だ?

「常識」ってなんだ?



よそさんの子どもさんが不登校だとしても

人の手前、口では心の広いことを言ったりするでしょうが

実際、我が子がそうなってくると動揺すると思います。

よその子は、所詮、よそのこと。

うちの子は そういうのは関係ないわ。

でも、

自分とこでそういうことが起こっては困る・・・

というのが正直な気持ちだと思います。



生きづらい、

理由や原因をこれに寄せないで頂きたい。

今の時代、生きづらく無い人の方が???だと思います。

ですよ。本当に。



権力を濫用する社会システムの歪みがコロナを機会に

空気に知れ渡ってしまったのですから、

敏感な人たち(年齢関係なく)は、しんどくて自然です。



なぜ、学校に行くのか?

なぜ、勉強するのか?

なぜ、会社に行くのか?

これらすべてをつきつめれば、命に関わるのです。



どれだけ、普通と思われていることが

普通でないのか

これは 経験した人にしか わかりません。



我が家でよく出る話題は、

“右向けと言われたら、命を奪う行為であっても「右」を向くのか”

“左向けと言われたら、いじめという名の犯罪に手を染めるために「左」を向くのか”

いづれも従わないと

おまえの家族が犠牲になるぞ

おまえがそういう目に遭うぞ

あるいは

非国民となるぞ

と眼光鋭い人らに睨みつけられても

自分の意志を貫けるかどうか、

というようなこと。



ことの善悪、人としての行い、心ですね。

その心というのは 組織で教わるもんではなく、

家庭で育むもの。

個です。



あなたの大切なお子さんが

あなたの大切なご家族が

朝になったら起きづらい、

体調がすぐれなくなったのなら、

どうしますか?

働きにいくのがしんどい

休み続ける・・・

愛情も冷めますかね?

稼いできてもらないと困るじゃないの!と

どこかで思ったりしますかね。



今までの普通というのが崩れてきた時

あわてふためいても

何が大事なのか?

何を優先したいのか?

を自問してください。

人間というのは 本来ネガティブ思考なので

“これだけは避けたい”というのがあると思います。

このことを自問自答してみること。



まぁ、ちょっと 呼吸しましょうか。ね。

現実に考えましょう。

勉強する方法は 今の時代 いくらでもあります。

むしろ 学校よりも 自宅で勉強する方が

お子さんにとって安心できると思います。



親が「恥ずかしい」なんて思ったら あきません。

子は 親の自尊心をくすぐるために生きてるわけじゃない。

学校名で判断せんといてあげてください。

友達の数や何かで入賞した数なんかで

我が子の価値が決まるわけがない。

政治家の人たちをみてください。

有名校を卒業されてるのに、

やることなすこと、めちゃくちゃ。

凡人の私でもわかるようなことなのに。笑

エリート階段を登られていても

戦争で私利私欲を満たそうとされてますよね。

あんな大人に なってほしいと思う親がいるのかなぁ?

自分らのことしか 結局は考えないんですから。苦笑



どうぞ、大切なご家族を通常枠に当てはめないでください。

ひとりひとり 顔も性格も違います。

当然ながら、心の色も形も違います。



こうしないといけないと言う人が

もし近くにおられるとしたならば、

そういう人は ほっといたらよろしい。



大切な家族のために

自分の、今までの普通を見直さないと

いけないことも あるのです。



小さな声でこうつぶやいてみてください_

「不登校のどこが悪いの?なんか迷惑かけた?うちの子」

と。

迷惑なんてかけてませんよ、お子さん。

全く悪くない。

もし、近所でひそひそ言う人や

連絡が途絶えたママ友みたいな人たちがいたら

その程度の人だということです。

友達なんかじゃないです。

本当の友達は困ったり悲しい時に

光り輝く存在ですもの。

わかってスッキリですよ。笑



堂々と笑顔で歩いてください。

あなたの心は とっても大きく広いんですから。笑

そういう人らは ほっといたら よろしい。



まとまりのない文章ですが、

世の中の空気がざわついてます。

どちらさまも ご自分も人様も 大切に。



アガサ





〜日常のひとこま〜
うちの犬娘りんごです。昼寝中です。面白い子で、とにかく、もたれます。机の脚、椅子の脚、たたんだ布団、いろいろとです。夜眠る時は、ぐるぐるっと2回程回ってドカン!ともたれてきます。私より小さいのに、ドカンがすごい力というか何というか。それで起きます、一度ね。そうでなくても、年いって眠りが浅くなってきたのに止めてくれよと思ったりしながら、また寝ます。そして、毎朝5時には時計のように起きて、顔の上で鼻息ふんふん。あぁ、わかりました。起きます、起きます。苦笑
+22

2件のコメント

  • アガサさん こんにちは。
    大人も子どももルールに縛られ過ぎてたような気がしていました。
    私自身、コロナ前、家族を看病しながら出社していた時、朝は9時前に絶対に出社しないといけない。これは大変でしたし、コロナが騒がれ始めたころでワクチンがなかった時、感染したら重症化する家族の話をしても、皆んな大変なんだから在宅勤務なんてとんでもない!と言われてました。嫌なら異動もと匂わせられて。
    命って大切なんじゃないの?なんで??
    そのうち緊急事態宣言を経て、どこでも自由に働ける社会?などとなり、あの時の上司も手のひらを返したように変わりました。あれは何だったんだ…。
    命、大切なものは変わらない。世の中のルールがコロコロ変わっても守るものは変わらないと改めて思います。

    • すいれん様
      ありがとうございます。
      ご家族の看病をされながら、お仕事もなさって大変でしたね。時間を合わせるために様々なことを調整する毎日は、一言では言えません。疲労困憊、疲弊の連続の日々です。
      コロナが世に出て、こうなって。困らない限り、人は考えないと思います。今までが通常であり、常識だと言われるのは致し方ないですが、そうしたサイクルの中で生きていくには、妙な言い方ですが”大きいものに巻かれる”他、ないように思います。特に日本では。
      自分で考えてそのように行動することはとても勇気もいるし、周囲の反感は当然のことです。それも覚悟したうえで自分の生活スタイルを営んでいくことは、傍目から見れば、自由を謳歌しているように見えます。けれども、実際はそうではありません。どういうことも多方面があり、メリットとデメリットのようなものがセットです。世の中(通念)がどうであれ、自分の中の芯(軸)を持ち続けることだと思います。皆それぞれに手探りなんだと思います。すいれんさんもお身体を大切になさってくださいね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Translate ≫