自分を褒める

自分にご褒美。

世間ではよく使われていて、自分も書いたり言ったり

していましたけれど・・・

実は、馴染めないというか、なぜか抵抗を感じます。笑

(まぁ、偏屈もんですから、しゃーないですね。)


褒美をあげるのではなく、「褒める」。

昨年の夏以降、心臓に不安を持ってから

やっとこれが自然とできるようになりました。



そこそこ 頑張り屋だけど、

頑張りが足りないって自分を思ってしまう・・・

真面目だけど、そんなに真面目じゃないな・・・

世の中の人たちが、頑張ってるのに、

自分は(体調のことがあるにせよ)頑張りきれてない、

頑張りたいと思うのに頑張れない・・・



なんてことをジメジメと思ってしまうんです。私ね。笑

自分の体調が、自分ではどうしようもないようになって、

半ば、トラウマのような、恐れもあったりします。

いわゆる、不安ですね。

病名つけるなら「不安症」。

状態に「症」をつけたら、病名になるんですよ、今は。大笑


あーあ、自分って・・・と思う日が続きました。

生きてても、生き甲斐がない・・・

大袈裟のように思えますが、本当にこの言葉通り。

鏡を見ては自分で(死んだ魚の目をしとる)、

こう思ってました。


そんなモヤモヤが常となってしまったある日、

ふとね、思ったんです_

「ダメダメ尽くしの自分だけど、

身体というか細胞は日夜休みなく、

せっせとやるべきことをやって働いてくれているじゃないか」

って。


臆病で怖がりの自分だけれども、

身体は頑張ってくれてるなぁ・・・

突然、不安の大波が襲ってくる自分でも、

休みなく働いてる身体(細胞)を褒めるぐらいは出来るなぁ・・・

と思ったのです。



それからです、スーハー&足裏さすり。笑

続けることを優先したいと思ったので、

いつもいつもは しない。笑

寝る前にちょっとだけ、にしました。


「ありがとうねぇ、いつも」

まるで、介護職の人に労いの言葉をかける

どこぞのおばあちゃんのように言うんです。


足裏、脚、手などをゆっくりさすりながら褒める。

なんと、想像以上に和んだのです。

癒されるという そんな大袈裟な表現ではなくて

心が和む という感じ。



他の人には、

ちょっとしたことでも御礼をいうのに、

自分に言ってなかったなぁ・・・


「あんた、偉いよ。いつも頑張ってくれて。

 ほんと、お世話になってるよね。

 今さらだけど、気づいたから 御礼言うわ。」

こう言いながらさする。

こんな自分に笑えます。

あははは って。



独り言 OK。

独り言=寂しい

なんて、決めつけること ない。笑

関係ありませんもん。笑

そんなの 関係ねぇーー ってね。

(小林よしおさん、ありがとうございます)



自分が 自分を 認めてやる

自分で 自分を 褒めてやる



そこらに咲いてる花、

スズメちゃん達や野良猫さん、

動物と言われている動物たちは、

「今」しか無いんですよね。

今、食べること。

今、命を守こと。

命を奪う”戦い”など しない。

これ。

これですよね。

偉いなぁーーー


テーマのない「一緒会」。

心、精神、感情、身体は すべて繋がっているから

一緒会で話してみよう。

一緒にやってみよう。

こう思ったのがキッカケです。



必要な人に、必要ならば、必要な時期に、届く。

響くものってあると思ってます。


あくまでも、

どこまでも、素朴。

気楽が最高。


みな、それぞれ、悩みや辛いことをもって

生きておられる。

みんな、お疲れさん ですよね。

褒美をやることよりも、

自分を褒めてやる。

これなら、偏屈もんの私でも 

なるほどなぁ〜

って思えてます。


アガサ




〜日常のひとこま〜

トマト。毎日毎日、食べてます。(食べる&褒める役専門なんで。笑) 世の中にはいろんな品種があるんですね。上の写真、びっくりでしょ。スーパーではまず見かけない品種です、2種類共。左の大きなイチゴみたいな形のトマトは・・・名前は言いたくないんですけど・・・笑・・・言いますね(牛の心臓)ですって。なんか・・・嫌やなぁ・・・とっつきにくいなぁ・・・口がへの字になるなぁ・・・笑 味はあっさりです。大きいのでカットしますと「スイカ、切ったの?」的です。笑 トマトは心臓にも良いので毎日食べてます。(ちょっと飽きてきたかも 笑)←贅沢
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2件のコメント

  • ご無沙汰しています。
    お元気ですか。
    なんだか、どこに向かってるのか
    よくわかんなくなってしまいました。

    私も、自分誉めてみます。
    癒されるかな😊

    • ご無沙汰しています、美穂さん。

      やりたいことで生活出来ることが幸せだと思っていたこともありますし、やりたいことが稼業となると割り切れないことも出てきたり。苦笑
      やりたくないことを生活のためにやるしかないんだと思いながら、虚しさと苛立ちを感じながらも、まだ仕事があるだけマシかなと思う自分も立派だけれど、なんだかわからないな〜と思えたり。
      本当にいろいろな思いが沸々と沸きます。

      最近思うのですが、若い頃には熱量(エネルギー、意欲)がありましたが、50過ぎますと、熱量は乏しくなってきて自然なんだなぁ〜と思えます。
      今までやりたかったこと、そのやりたいと思えていたことの「核」は一体なんだろうか・・・ こういうことをぼんやり思ったりもします。

      すると、やりたいことが目的ではないんじゃないかと思えたり。周囲を一枚ずつ剥がしていくと、何が残るのか。
      そんなことを朧げに思いを馳せたりなんかして。笑

      なんやかんやと思いながらも、生きている自分、そんな自分を支えてくれている細胞を褒めてやるほかないような気がしています。
      業種はある意味、ラベルの部分のように(個人的に)感じています。その仕事を通しての「何か」にきっと核があるんだと思えます。

      まあ、美穂さん。皆、似たり寄ったりではないかと思います。(私なんか本当にそうです。デジタルの仕事なんては、35歳ぐらいまでですね。若い世代の仕事だと認めないとな〜って思っていますよ、最近。(大笑))

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