悲しみは愛へ繋がってる

Tさんに つぶやくようにして書いたmail。

部分的シェアさせてもらいます。

どなたかのモヤモヤに良い意味で

軽やかさがさせばいいなと願って。


Tさんからご連絡をいただく数日前、

女の子が私のところに来てくれてました。

「ご家族は ご存知?」

女の子は、うん、ううんの間のような表情をし、

もじもじしたふうに思えましたので、

「いいのよ。必ず わかってくれるからね。」

「安心してね。」


どこん家の子どもさんなのか。

どこん家のお子さんであっても、大丈夫。

家族の繋がりが引き寄せると経験してます。

何の心配もしてません。


数日後には、Tさんから「はじめまして」mailを

頂いたんですから。笑

すばらしいですね、愛は。


– – – – –

/ Tさんmail 抜粋 /

今年こそ、働きにいきたいと思うのですが、

世間の『お子さんは?』の何気ない問いかけを

かわす勇気をもちたいなぁって思います。

『いる』と答えてしまって、そのあとの会話で

パニックになったことがあって・・・

主人からは

「『いない』といえば、そこで話は終わるから」

と言われましたが、

『いたのにいない』と言うことが

娘への申し訳ない気持ちで揺れています。

わかりにくい小さなモヤモヤを書いてしまいました。

ごめんなさい。


– – – – –

/ 私mailの抜粋 /

お気持ち、お察しします。
ご主人も、お辛いですよ。
口には出されないでしょうけれども。
男の人は、本当に繊細です。

いない。
これを口に出してしまえば、認めてしまうことになる。
口に出さなくたって、悲しみや恋しさは増すばかり。
人は、口には出せない悲しみを持って、
生きていかなきゃいけない_
そのように私は思っています。

思いを絞り出すように話したところで、
どれだけの人が真から想像しようとするのか、
理解できるのかは、また別の話。

だったら、
何も話さない方が良いのか
逆に、話してしまった方がいいのか。
そこで悩んでしまい、
口をもごもごしてしまうもんです。

話すに相応しい相手であれば、
時機がくれば、自然と話せると思います。
そうでなければ、
無理に話さなくて良いし、
はぐらかすことで誤魔化せば良い。


誤魔化すことは、嘘をつくのとは違う。

言葉が違えど、思いやりが含まれているかどうか。

そこに愛があるかどうか。


もう 十分すぎるほど 苦しい思いを

したじゃないの。

もう いいんだって。


あなたが どれだけ泣いたか

どれだけ 声をころして泣いたか。


嘘も方弁っていう、愛に満ちた諺があるでしょう。

じゃんじゃん、方弁よ!

私、あの諺 好きだもの。笑


自分に素直になれない人たちが

自分に素直になるのは 大賛成。

もっと賛成なのは、適当に応えること。笑

身を守ることも 大切なことですから。

思いやりをたまには、自分にあげないとね。笑


私はちょっと意地悪なとこがあるんで(笑)

大切なことを尋ねてるという意識もなく、

脳はそれを知りたいと思ってもいないのに、

何かの”流れ”のように尋ねてくる人に対して

考え抜いて話す必要ってあるのか?

こう思ったりしてるんですよね〜


人が人に偉そうに物見下すかように言ってると、

おまえのその言葉に、真実と愛は あるのか?

と まぁ、なんでしょうね、

沸々っと湧いてくるんですよね。

窓口業務をしてた時、小金に物言わせてる人に

喧嘩腰になってましたねぇ。笑

(あはは。係長、ごめんなさい。笑)

すぐに顔に出てるらしいですよね、私。笑

笑いますよねぇ。

笑っといてください。


何度も述べさせてもらってますが、私は

なぜ、

自分がそんな怖い思いをし続けないといけないのか?

どうして、私?

なんで 私だけ?

いっぱいいっぱいになった時、永遠の疑問文が

頭によぎるわけですね。苦笑


いつ頃でしたか、

10才になる前後でしたか、

そういうふうに考えても、

答えは出ないんだなぁ〜と思ってからは、

「しゃーないやん」で終了!

あははは


子どもの頃は「自己防衛」的に思えてました。

心底 そう思えるまで 長かったです。笑

かれこれ、40年近く、かかったんですね。


だから、

普通に生きれることが どれだけ幸せなのかを

知ってるんです。


子どもの頃、布団の中で泣いた 何回も。

ずっと 眠れない。

人は誰もが死ぬのに、

なんで この人たちは 話しかけてくるのか。

生きてるのか。

どこで 生きてるのか。

なんで 私のとこに来るのか・・・。

誰にも言えない。

誰にも言わない。

言ってしまったら、精神病院へ連れていかれる

そう思い込んでましたから。笑

だけど、不幸だと思わなかった。


人生は戦わなきゃと 

自分のことは 自分で守ってやらなきゃと

どこかで思ってたんでしょうね。

わかりませんけどね。

10代は 溢れすぎる自分の正義感に

自分でも呆れました。笑


怖い、辛い思いをしているからこそ、

「まとも(普通)」の大切さや貴重さが

身に染みているんだと思います。


悲しい思い、辛い思い。

これらは、不幸なんかじゃない。

宝です。

本物の愛を育むための宝です。


苦労は若い頃には 買ってでもしろ

このように聞いたり読んだりしましたが

そうは 思わない。

できるだけ、しないにこしたことはない!

ねぇ!

そう思うでしょ。笑

そう思って生きてきました。


だから、

みんな、もやもやしたって良いんですよ!

一緒に、もやもやしよう!

あははは


アガサ


追記:あ、そうそう。毎日決まって聴くのは、サザンの「君こそスターだ」という曲。動画も良いですよ。何かに懸命にやってる表情と空気。あ〜、みんな頑張ってるよなぁ〜ってね。すごく元気が出てくるんです。桑田さん本当に大好き。人柄が良いですね。



〜日常のひとこま〜

愛犬 家族 ペットショップ反対
うちの娘「りんご」。あ〜、可愛いな〜(笑)。びっしりまつげも可愛いし、食べ物好き過ぎて、自分のヨダレで脱色されてしまった口元の白さも愛おしいっす!子どもの頃、私は、犬がめちゃくちゃ怖かったんですよ。今では信じられない。愛ってすごいですね。

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4件のコメント

  • Tさんのお気持ち、よくわかります。
    「お子さんは?」の問いかけが怖くて、なかなか社会と関われない。
    美容室に行く事すら、その質問をされた時の返答をあれこれ考えて、意を決してからじゃないと行けない。
    「いない」って、言いたくない、そんな事言ったら、あの子の存在を否定してるみたいで申し訳なくて。
    その気持ちもよくわかります。
    「います」と言えば、何人?何歳?学校は?どんどんプライベートな質問をされて、だんだん自分が嘘ついてるみたいに苦しくなって。
    アガサさんのおっしゃるように、相手は大切な事を尋ねてる感覚もなく、流れのように聞いているだけなんですよね。
    少し気を許して、こちらが大切で深い思いを絞り出すように話しても、次回また同じ質問をされたり、気まずくなって軽ーく流されたり。相手の気持ちに寄り添える人、相手の話を大切に聞いてくれる人、少ないんだなぁってすごく感じています。世の中が豊かになりすぎたからなのか、人と人との関係性が希薄になったからなのか、人の痛みに鈍感だなぁって。
    Tさん、「います」「いません」どちらの返答も辛いですよね。
    8年経った私にもどっちが正解か今だにわからないです。
    辛い経験をした分、人の話を丁寧に聞ける少数に自分がなれたかなっていう事だけが、、自分なりの気持ちの落とし所です。
    何のアドバイスにもなっていませんが、同じ経験をした者として、気持ちを共有させて頂きました。
    Tさん、いつか会える日まで、お互いゆっくりゆっくり、歩んで行きましょうね。
    心から、応援しています。
    アガサさん、いつもこの場所を、ありがとうございます。

    Nより

    • N様
      大切な思いを書いてくださり、有難うございます。

      個人が自由に発信できる世の中に(急速に)なりましたね。小学校の授業で英語が入ったり、英単語を日本語に混ぜて当たり前のように話す書く・・・私は本当に笑えてしまうんです。
      日本語に興味を持つ前に、グローバルだと言われ、社会全体が当たり前のように「右に倣え」とする。 おかしな国です。真・心・芯がぐにゃぐにゃ。笑
      言葉本来の意味や会話、交流、気持ちを考える前に、自分の口が機械のように発せられることで、ますます、言葉と思いが伴わなくなってしまったと思います。(これも時代の流れ、なんでしょうね)
      考えること、研究することは、無言の世界です。そこをやらない社会になってきたので、「軽く」話す人が増えてきたのも自然と言えば自然。
      まあ、そういう現象を悪いとは思いません。 なんていうのか、「人は人(他は他)」ですね。笑
      けど、人が困っている時、気持ちがわかるのは「辛い悲しい経験」をしているからです。
      経験をしていなくても、相手を思いやる人達もたくさんおられます。
      悲しい気持ちは、孤独に思えがちですが、孤独なんかではありません。
      悲しい辛い気持ちのまま、胸にしまい続ける必要もないと思うのです。
      それは、大切な家族への愛が基だから。
      深い愛を困っている悲しんでいる人や動物たちに向けて、心を繋いでいくことが、巡り巡って、私たちの胸にぽっかり空いた穴に温かみをさしてくれるんじゃないかと思うのです。
      無茶苦茶な文面ですみません。読みづらかったかもしれませんね。ご勘弁ください。

  • 9年目を生きています。
    私は、まぁ聞かれることも少ないですが、聞かれても普通にはっきり言います、『うちの彼は~』とか。指輪もずっとしてるし。こちらにいた時のことを、しれっと、さも昨日のことのように話します(笑)なぜかというとホントに居るから。先日も、面接なのに『私は、パートナーと意見が違ったらとことん話します』てさらっと言ってしまいました。

    私の、神経がズ太いのかもしれないけど、Tさんのお気持ちもわかりますね。余りそれ以上突っ込んでくる人には、逆にこちらから、なんでもいいから質問し返して、話の方向性変えてみたらいかがでしょう?(本当は、その人にそんなに興味がなくても….笑)

    • 美穂様
      もう9年目ですか。 段々と時間(年月)の感覚が薄らいでいってしまうので、教えて頂くと「そうかぁ」と思います。
      美穂さんの神経がズ太いのではなく、ずっと、悲しい辛い恋しい・・・ご自分の様々な気持ちと向き合ってこられたから、だと思います。
      慣れたのではなく、薄れたのでもなく、「私には最高に愛する人がいるんだ!」という気持ち。
      自信っていうのでしょうかね。自然というのでしょうか。それでも、人ですから、浮き沈みは誰にでもあります。
      妙な言い方ですが、大切なことほど、何の気なしに喋ってくるタイプの人には気遣いしなくて良いんじゃないかな〜なんて思ったりしてる意地悪な私です。苦笑

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