教師として 人として

ご依頼を頂いてから10年以上のお付き合い

Mさんから頂いたメールへのお返事です。

初老おばばの独り言程度に、お読みください。笑

– – – – –


教師という仕事は、本当に大変です。

ご依頼くださる方々、また、私の親しい友人に

学校の先生が割とおられます。

日本の教師の大変さを知ります。



高校と中学とは、全然違います。

中学と小学生も、違います。



先生も、世代によって、考え方や感性が全く違う。

けれども

「変わらないものって、ある」と思うのです。


世代間の違いがあったとしても、

保護者と子達の生活環境に違いがあったとしても、

誰もが無意識に求めているのは

「自分をわかってほしい」という気持ち。

愛情です。


裕福な家庭には、それゆえの愛情不足があります。

見落としてしまうことがあります。

厳しい家計の家庭にも、そう。


環境による原因起因があるにせよ、

それが全てを支配し、

決定づけるものではないと思うのです。


どのような偏見が、私たち皆にあるにせよ、

突き詰めていくと「愛情」。

当たり前のようだけど、難しい。

難しいのは「無形」だから。

触れられないからです。


子を授かり、懸命に育てているつもりでも

完璧や正解がありません。

他人様に自慢するような子育ては無いと思っています。

自慢したり、本にしたり、する必要など全くないのです。

どっかの誰かが書いた育児書を参考にして

子や生徒さんを「当てはめる」ことは、なりません。

個性を無視してはなりません。


何が教育者であるのか、これも人それぞれ違います。

教育者である前に「人としてどうか」です。

共通しているのは、

「人の道」を温かい愛情で照らしてやるということ

だろうと思うのです。


人の心を救うことなどは、ほぼ出来ない。

人の心を変えることは無理。

どの道を歩むのかは、子達の「個性」が選んでいきます。

自分の個性は、自分がわかりきってる!ってことは

ありません。


人生を走り、つまずいたり、ころんだりするうちに

何となくこうかなぁと思えるもの。

逆に、怖かったり逃げてしまっている時期も

あると思います。

自分の個性から。


学校の先生は、

美しい素晴らしい年台の人たちの日常の一部と

関わります。


受験の年を受け持つ先生は、

十分にご経験されていますが

受験は、親や先生が言うまでもなく、

非常に不安定な一年で「当たり前」。笑

本人が一番わかってます。

だから、大人に言われたく無い。大笑

周囲の大人たちは、ここを理解するのも大切。


ひとりの青年が歩き出す人生。

親や先生をはじめ、周囲の大人が

サポートできることは知れてます。

全てをサポートしては、自分の足で歩こうとしなくなります。


人の人生で大事なのは、

困った時に、考えて行動できるかどうか。

本当にそう思います。


仕事が天職になるまで、

どういう業種であっても、ブラック的な条件です。

天職というのは、与えられるものでも

探し続けるものではないと捉えています。


好きだから、資格を取ったから、

それが天職ではないのです。

常に工夫し、考えて行動する自分であるかどうか

これがポイント。

けれども、体調や心調を壊すほどの必要は、

全くありません。


子から青年へと育っていく年月を、

教師という大役を担っておられる全国の先生。

教師として、人として、

生き様や心意気が空気を通して

生徒さん達の感性に響くことを祈ります。


友人として

人として 思うことを書きました。

アガサ婆のつぶやき、ご勘弁ください。笑

アガサ


〜日常の一枚〜

先日、10分散歩をしていたら、空が線だらけ。笑 京都の空って飛行機が結構飛んでるんですね。当たり前でしょうけれど、何だか水彩のようで可笑しかったです。
+28

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Translate ≫